text:chomonju:s_chomonju121
古今著聞集 文学第五
121 尚歯会は唐の会昌五年三月廿一日白楽天履道房にして初めて行ひ給ひける・・・
校訂本文
尚歯会は、唐の会昌五年三月廿一日白、楽天、履道房1)にして、初めて行ひ給ひける。
わが朝には、貞観十九年2)三月十八日、大納言年名卿3)、小野山荘にて初めて行なはれけり。また安和二年三月十三日、大納言在衡卿4)、粟田口山荘にて行はれける。
その後、天承元年三月二十二日、大納言宗忠卿5)、白河山荘にして行はれけり。七叟の算、三善為康(年八十三6))・前左衛門佐藤原基俊(七十六)・前日向守中原広俊(七十)・亭主7)(七十)・式部大輔藤原敦光朝臣(六十九)・右大弁実光8)(六十三)・式部少輔菅原時登(六十二)。この中に、基俊は病(やまひ)によりて、詩ばかりを送りけり。時登、序をば書きたりけり。垣下(ゑんが)に中納言師時9)以下侍りけり。詩披講(ひかう)以前に朗詠、「少従10)楽天三年。(楽天より少(わか)きこと三年。)」の句を、なべて四・五反に及ぶ。右大弁11)・式部大輔12)ぞ詠じける。また、「岸風論力。(岸風力を論ず。)」の句、「蓬鬢商山。」の句、「酔対花。(酔ひて花に対す。)」の句等、再三13)詠じて、すでに幽興に入りけり。
昔は、この座にして盃酌ありて、あるいは詩を作り、あるいは管絃を命じ、心に任せて終日遊戯しける。いまぞかやうのことも絶え侍りぬる、口惜しきかな。
翻刻
尚歯会は唐の会昌五年三月廿一日白楽天覆(履イ)道房(坊イ)にしてはしめて をこなひたまひける我朝には貞観十九三月十八日大納言年名卿小野山庄にて はしめて/s94l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/94
おこなはれけり又安和二年三月十三日大納言在衡卿粟田口山庄にてをこなは れける其後天承元年三月廿二日大納言宗忠卿白河山庄にして被行けり七叟算 三善為康(年八十三)前左衛門佐藤原基俊(七十/六)前日向守中原広俊(七十) 亭主(七十)式部大輔藤原敦光朝臣(六十/九)右大弁実光(六十三)式部少輔菅 原時登(六十/二)此中に基俊は病によりて詩はかりを送りけり時登序をは書 たりけり垣下に中納言師時以下侍けり詩披講以前に朗詠少伇(従イ)楽天三年 之句をなへて四五反におよふ右大弁式部大輔そ詠ける又岸風論力之句蓬鬢商 山之句酔対花之句等并三詠してすてに/s95r
幽興に入けりむかしは此座にして盃酌ありて或は詩をつくり或は管絃を命し 心にまかせて終日遊戯しけるいまそかやうの事もたえ侍ぬる口惜かな/s95l
text/chomonju/s_chomonju121.txt · 最終更新: 2020/02/14 02:10 by Satoshi Nakagawa