古今著聞集 公事第四
98 内宴は弘仁年中に始まりたりけるが長元より後絶えて行なはれず・・・
校訂本文
内宴は弘仁年中に始まりたりけるが、長元より後、絶えて行なはれず。
保元三年正月二十一日に、おこし行なはるべきよし、沙汰ありけるほどに、その日は雨降りて、二十二日に行なはれけり。次第のことども、古き跡を尋ねて行なはれけり。法性寺殿1)、関白にておはしましけるをはじめて、人々多く参りあひたりけるに、前太政大臣2)は必ず詩を奉るべき人にておはしけり、太政大臣3)は管絃の座に必ず候ふべき人にておはしけるに、「座敷こちなかりければ、いかがあるべき」とかねて沙汰ありけるに、太政大臣、大臣につくべきよし、進み申されけれども、殿下許し給はざりけり。つひに前太政大臣、まづ参りて詩を奉る。披講果てて出で給ひて後、太政大臣、代りて座に着き給ひけり。ありがたかりけることなり。
御遊の所作人、太政大臣箏4)・左大臣5)拍子・内大臣6)笛・按察使重通7)琵琶・左京大夫隆季朝臣8)、上総介重家朝臣9)笙・宮内卿資賢朝臣10)和琴・前備後守季兼11)篳篥(ひちりき)・主上12)御付歌(つけうた)ありけり。ありがたきためしなるべし。呂(りよ)、安名尊(あなたふと)二反13)・鳥の破・席田(むしろだ)二反・賀殿(かてん)の急・美作二反、律、伊勢の海・万歳楽・青柳・五常楽・更衣(ころもがへ)、これら14)をぞ奏せられける。
そもそも大監物(だいけんもつ)周光は、近ごろの侍学生の中に聞こえある師にて参りたりけるが、歳八十ばかりにて、階を上ることかなはざりけるを、大蔵卿長成朝臣15)・春宮大進朝方16)、弟子にてありければ、前後にあひ従ひて扶持(ふち)したりける、ゆゆしき面目とぞ、世の人申しける。周光もことに自讃しけり。このたびぞかし、俊憲宰相17)、蔵人・左少弁・右衛門権佐・春宮学士にて、かきひびかして侍りけることは。
その年、二条院18)、位につかせおはしまして、次の年式日に行はれけるに、主上、玄象弾かせおはしましけり。上下耳に驚かさずといふことなし。内大臣拍子・案察19)重通笙・新三位季行卿20)篳篥・中将俊通朝臣21)箏・実国朝臣22)笛。安名尊・鳥の破・美作・賀殿の急・伊勢の海・万歳楽・更衣・三台の急・五常楽の急。このたびの遊び、ことにおもしろかりければ、主上興に入らせおはしましけり。按察23)、笙をおきて、時々唱歌せられけり。興あることなり。
永暦より行はれずなりにける。口惜しきことなり。
翻刻
内宴は弘仁年中にはしまりたりけるか長元より後 たえておこなはれす保元三年正月廿一日にをこしお こなはるへきよしさたありけるほとにその日は雨ふりて 廿二日におこなはれけり次第のことともふるきあとを尋 ておこなはれけり法性寺殿関白にておはしましける をはしめて人々おほくまいりあひたりけるに前太政/s83r
大臣はかならす詩をたてまつるへき人にておはしけり 太政大臣は管絃の座に必候へき人にておはしけるに 座敷こちなかりけれはいかかあるへきとかねてさたあり けるに太政大臣大臣につくへきよしすすみ申されけれ とも殿下ゆるし給はさりけりつゐに前太政大臣まつ まいりて詩をたてつる披講はてていて給て後太政 大臣かはりて座につき給けりありかたかりける事なり 御遊の所作人太政大臣(宗輔箏)左大臣(伊通)拍子内大臣(公教)笛梅 察使重通琵琶左京大夫隆季朝臣上総介重家 朝臣笙宮内卿資賢朝臣和琴前備後守季兼 篳篥主上御付哥ありけりありかたきためしなる/s83l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/83
へし呂安名尊(二反)鳥破席田(二反)賀殿急美作(二反) 律伊勢海万歳楽青柳五常楽更衣われらをそ 奏せられける抑大監物周光はちか比の侍学生の中 にきこえあるしにてまいりたりけるか歳八十はかり にて階をのほる事かなはさりけるを大蔵卿長成 朝臣春宮大進朝方弟子にてありけれは前後に あひしたかひて扶持したりけるゆゆしき面目とそ 世の人申ける周光もことに自讃しけりこのたひそ かし俊憲宰相蔵人左少弁右衛門権佐春宮学 士にてかきひひかして侍けることはそのとし二条 院位につかせおはしまして次年式日におこなはれ/s84r
けるに主上玄象ひかせおはしましけり上下耳に おとろかさすといふ事なし内大臣拍子梅察重 通笙新三位季行卿篳篥中将俊通朝臣箏 実国朝臣笛安名尊鳥破美作賀殿急伊勢 海万歳楽更衣三臺急五常楽急このたひの遊こ とにおもしろかりけれは主上興に入せをはしましけり梅 察笙を閣て時々唱哥せられけり興ある事なり永 暦よりおこなはれすなりにける口惜きことなり/s84l