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text:chomonju:s_chomonju070

古今著聞集 釈教第二

70 ここかしこ修行する僧ありけり名をば生智といふ・・・

校訂本文

ここかしこ修行する僧ありけり。名をば生智といふ。たびたび渡唐したりけるものなり。建長元年のころ、渡唐しけるに、悪風に合ひて、すでに船砕けんとしければ、こたうといふ小船に乗り移りにけり。船狭(せば)くして、百余人ぞ乗りたりける。残りの輩(ともがら)は、もとの船に残りてありける。心中推し量るべし。

こたうに乗りて、十余日ありけるに、水尽きて、すでに飢ゑて死なんとしける時、行衍房寲浄といふ上人の乗たりける、「かやうにおのおの同心に観音経を三十三巻読み奉るべし。われも祈請し試みるべし」とて、左手の小指に灯心をまとひて、油を塗りて火を灯して、灯明として、同じく経を読みけり。

三十三巻の終りほどになりて、方かたより淡(あは)のごとくなる物、海の面に一段ばかり白(しら)み渡りて見えけるが、この船のもとへ流れ来るあり。「あやし」と思ひて、杓を下して汲みてみれば、少しも塩の気もなき水の、めでたきにてありけり。人々これを汲み飲みて、命生きにけり。これしかしながら観音の利生方便なり。世の末といひながら、大聖の方便、不可思議のことなり。

大船に捨て乗せられたりける者も、すでに限りなりけるに、いづくよりとも知らぬに船出で来て、この輩を移し乗せて、事故(ことゆゑ)なくかの岸へ着けてけり。これも観音の御助けありけるにや。

翻刻

ここかしこ修行する僧ありけり名をは生智といふ
たひたひ渡唐したりけるものなり建長元年の比渡
唐しけるに悪風にあひて已に船くたけんとしけれは
こたうといふ小船に乗うつりにけり船せはくして百よ人
そ乗たりける残の輩はもとの船に残て有ける心中/s65l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/65

をしはかるへしこたうにのりて十よ日有けるに水つ
きてすてにうへて死なんとしける時行衍房寲浄と云
上人の乗たりけるかやうに各同心に観音経を卅三巻よ
み奉るへし我も祈請し試るへしとて左手の小指
に灯心をまとひて油をぬりて火をともして灯明と
しておなしく経をよみけり卅三巻のおはり程になりて
南かたより淡のことくなる物海の面に一段はかりしら
みわたりて見えけるかこの船のもとへなかれくるありあや
しと思て杓をおろして汲てみれはすこしも塩の
けもなき水のめてたきにて有けり人々これをくみ
のみて命いきにけり是併観音の利生方便也世の末といひ/s66r
なから大聖の方便不可思議の事也大船にすてのせ
られたりけるものもすてにかきりなりけるにいつく
よりともしらぬに船いてきて此輩をうつしのせて
事ゆへなく彼岸へつけてけり是も観音の御助有けるにや/s66l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/66

text/chomonju/s_chomonju070.txt · 最終更新: 2020/01/27 15:53 by Satoshi Nakagawa