古今著聞集 釈教第二
63 源空上人は一向専修の人なり・・・
校訂本文
源空上人1)は一向専修の人なり。直人(ただびと)にはおはせざりけり。弥陀如来2)の化身とも申し、勢至菩薩の垂跡(すいじやく)とも申すとぞ。その証明らかなり。諸宗の奥旨さぐり極めずといふことなし。暗夜に経論を見給ひて、灯明なけれども、光明家内を照らすこと昼のごとし。
久安六年、生年十八にして、始めて黒谷の上人3)の禅室に入りて、難解難入(なんげなんにふ)の門を聞きて、易往易行(いわういぎやう)の道におもむく。まのあたり宮殿・宮樹を見、化仏・化菩薩を現じ奉る。
元久二年四月一日、月輪殿(つきのわどの)4)に参じて退出の時、南庭を通りけるに、頭光(づくわう)現じたりければ、禅閤5)地に下りて、恭敬礼拝(くぎやうらいはい)し給ひけり。
建暦三年正月廿五日、遷化(春秋八十)。往生の瑞相一つにあらず。いまだ墓所を点ぜざるに、両三人の夢に、その所に当たりて、天童行道し、蓮華開敷せり。三・四年よりこのかた、老病身にまとひて、耳目蒙昧なりけるが、往生6)の期近付きては、ことに目も見え耳も聞かれにけり。みづから、「上品極楽(じやうぼんごくらく)はわが本国なり。さだめてつひに往生7)すべし。観音8)・勢至9)等、聖衆来現して眼前におはします。わが往生10)はもろもろの衆生のためなり」とのたまひて、二十四日の酉時より、高声(かうしやう)の念仏体を責めて無間なり。二十五日平正に、光明遍照の四句の文を唱へて、慈覚大師11)の九条の袈裟を着して、頭北面西(づほくめんさい)にして、眠(ねぶ)るがごとくにして、終り給ひにけり。念仏音声(おんじやう)とどまりて後も、なほ唇舌を動かすこと十余反(へん)ばかりなり。順次の往生疑ひなきものなり。
三井寺12)の公胤僧正、結縁のために四十九日の導師を望みて、両界曼陀羅ならびに阿弥陀像を供養してけり。
その後、五ヶ年を経て、建保四年四月二十六日の夜、僧正の夢に見侍けりる。上人、告げていはく、
往生之業中 一日六時刹 一心不乱念 功徳最第一
六時称名者 往生必決定 雑善不決定 高修定善業
源空物孝養13) 公胤能説法 歓喜不可尽 臨終先迎摂
源空本地身 大勢至菩薩 衆生為化故 来此界度者14)
かく示して去に給ひにけり。勢至菩薩の化身といふこと、これより符合する所なり。
翻刻
源空上人は一向専修の人也直人にはおはせさりけり弥陀/s57l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/57
如来の化身とも申勢至菩薩の垂跡とも申とそ其 証あきらか也諸宗奥旨さくり極めすといふ事なし 暗夜に経論をみ給て灯明なけれとも光明家内を 照事昼のことし久安六年生年十八にして始て黒 谷の上人の禅室に入て難解難入の門を聞て易往易 行の道におもむくまのあたり宮殿宮樹を見化仏 化菩薩を現し奉る元久二年四月一日月輪殿に参 して退出の時南庭を通りけるに頭光現したりけれ は禅閤地にをりて恭敬礼拝し給けり建暦三年正月 廿五日遷化(春秋八十)往生の瑞相一にあらすいまた墓所を 点せさるに両三人の夢に其所にあたりて天童行道し/s58r
蓮華開敷せり三四年よりこのかた老病身にまとひて 耳目蒙昧なりけるか弥生の期ちかつきてはことに目も 見え耳もきかれにけりみつから上品極楽は我本国也定 て遂に弥生すへし観音勢至等聖衆来現して 眼前におはします我弥生は諸の衆生のためなりと のたまひて廿四日の酉時より高声念仏体を責て 無間也廿五日平正に光明遍照の四句の文を唱て慈覚 大師の九条の袈裟を著して頭北面西にしてねふるか ことくにしておはり給にけり念仏音声ととまりて後も なを唇舌を動かす事十餘反はかり也順次の 往生うたかひなきもの也三井寺の公胤僧正結縁の/s58l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/58
ために四十九日の導師を望て両界万陀羅并に 阿弥陀像を供養してけり其後五ヶ年を経て建 保四年四月廿六日夜僧正の夢に見侍ける上人告云 往生之業中 一日六時刹 一心不乱念 功徳最第一 六時称名者 往生必決定 雑善不決定 高修定善業 源空物(本定)孝養 公胤能説法 歓喜不可尽 臨終先迎摂 源空本地身 大勢至菩薩 衆生為化故 来此界度者(々イ) かく示て去給にけり勢至菩薩の化身といふ事これより 符合する所也/s59r