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text:chomonju:s_chomonju059
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text:chomonju:s_chomonju059 [2020/01/22 21:48] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +[[index.html|古今著聞集]] 釈教第二
 +====== 59 承安二年三月十五日六波羅の太政入道福原にて持経者千僧にて法華経を・・・ ======
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 +===== 校訂本文 =====
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 +承安二年三月十五日、六波羅の太政入道((平清盛))、福原にて、持経者千僧にて、法華経を転読することありけり。件(くだん)の経以下御布施まで、諸院・宮・上達部・殿上人・北面までも、蔵人右少弁親宗((平親宗))が奉行にて進めけり。
 +
 +法皇((後白河法皇))御幸なりて、その一口(いつこう)に入らせおはしましけり。法印三人が下(しも)に御行道(ぎやうだう)ありけり。諸国の土民、結縁のために、あるいは針、あるいは餅四五枚などを引きけり。法皇も受けさせ給ひけり。浜に仮屋(かりや)を作りて、道場にはせられたり。仏は一千体ぞおはしましける。
 +
 +また、四十八壇の阿弥陀護摩もありけり。法皇もその中に加はらせ給ひけり。十七日まで、三ヶ日にぞ転読し奉りける。導師法印公顕、勧賞(けんじやう)に僧正になされにけり。
 +
 +公顕僧正、上洛の後、師匠の法印公舜、弟子に越えられながら、悦びのために来たりけるに、公顕、申されけるは、「まづなし参らせてこそまかりなるべきに、内外につきてその恐れ侍り。さりながら、上(かみ)ならせ給はば、僧正の((「僧正の」は底本「僧正の僧正の」。諸本により削除。))上(かみ)に居奉らんこと、驚くべきにあらず。法印として僧正の弟子を持ちて、上に居たらんこそ希代のことにて侍らめ」と、こしらへけり。
 +
 +法印帰る時、庭中まで出でければ((「出でければ」は底本「けれは」。諸本により補う。))、法印、泣く泣く謝せられけるとぞ。
 +
 +===== 翻刻 =====
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 +  承安二年三月十五日六波羅太政入道福原にて持経者
 +  千僧にて法華経を転読する事ありけり件経以下
 +  御布施まて諸院宮上達部殿上人北面まても蔵人
 +  右少弁親宗か奉行にてすすめけり法皇御幸成て
 +  其一口にいらせおはしましけり法印三人かしもに御行道
 +  ありけり諸国の土民結縁のために或は針或は餅四五
 +  枚なとを引けり法皇もうけさせ給けり浜にかり屋を
 +  作て道場にはせられたり仏は一千体そおはしまし/s56r
 +
 +  ける又四十八壇の阿弥陀護摩も有けり法皇も其中に
 +  くははらせ給けり十七日まて三ヶ日にそ転読し奉り
 +  ける導師法印公顕勧賞に僧正になされにけり公顕
 +  僧正上洛の後師匠の法印公舜弟子に越られなから
 +  悦のためにきたりけるに公顕申されけるはまつなし
 +  まいらせてこそまかりなるへきに内外に就て其恐侍り
 +  さりなからかみならせ給はは僧正の僧正の上に居たてまつ
 +  らん事おとろくへきにあらす法印として僧正の弟子
 +  をもちて上に居たらんこそ希代の事にて侍らめと
 +  こしらへけり法印帰る時庭中まてけれは法印なくなく
 +  謝せられけるとそ/s56l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/56
  
text/chomonju/s_chomonju059.txt · 最終更新: 2020/01/22 21:48 by Satoshi Nakagawa