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text:chomonju:s_chomonju056

古今著聞集 釈教第二

56 摂津国に清澄寺といふ山寺あり・・・

校訂本文

摂津国に清澄寺といふ山寺あり。村人は「きよし寺」とぞ申し侍る。その寺に、慈心房尊恵といふ老僧ありけり。もとは叡山1)の学徒なりけり。多年法華の持者なり。住山を厭(いと)ひて、道心を発(おこ)して、この所に来たりて年を送りければ、人みな帰依けり。

承安二年七月十六日、脇息に寄りかかりて、法華経を読み奉りけるほどに、夢ともなくうつつともなくて、白張(しらはり)2)に立烏帽子着たる男の、藁沓履きたるが、立文(たてぶみ)を持ちて来たれり。尊恵、「あれはいづくよりの人ぞ」と問ひければ、「炎魔王宮3)よりの御使なり。請文(うけぶみ)候ふ」とて立文を尊恵に取らせければ、披(ひら)き見るに、

  屈請
   閻浮提大日本国摂津国清澄寺尊恵慈心房
右、来十八日、於焔魔庁、以十万人之持経者、可被転読十万部法華経。宜被参勤者、依閻王宜崛請如件。
右は、来たる十八日、焔魔庁に於て、十万人の持経者を以て、十万部の法華経を転読せらるべし。宜しく参勤せらるべし者(てへ)れば、閻王の宜に依りて屈請すること件(くだん)の如し。

かく書かれたりけり。尊恵、否(いな)み申すべきことならねば、領状の請文書きて奉ると見て覚めにけり。

例時のほどになりにければ、寺へ出でぬ。例時果てて、僧ども出でけるに、老僧一両人にこの夢の告(つげ)を語りければ、「昔もかかるためし言ひ伝へたり。その用意あるべし」と言ひければ、房に帰りて、勤めいよいよ怠らず。寺僧等きほひ来たりてとぶらひけり。

十八日の申の終りばかりに、「ただ今、心地少し例にたがひて、世の中も心細く覚ゆる」とて、うち臥しけるが、酉の時ばかりに息絶えにけり。さて次の日、辰の終りほどに生き返りて、「若持法華経、其心甚清浄」の偈を四・五行がほど誦しけり。

その後、起き上がりて、冥途のことども語り、「王宮に召されて、十万人の僧につらなりて、法華経転読十万部終りて、法王、尊恵を召して、褥(しとね)をまうけてすゑらる。王は母屋の御簾の中におはしまして、尊恵はあらはに、冥官(みやうくわん)どもは大床(おほゆか)につらなり居たり。さまざまの物語し給ひしに、『摂津国に往生の地五ヶ所あり。清澄寺そのうちなり。なんぢ、順次往生4)疑ふことなかれ。太政入道清盛5)は慈恵僧正6)の化身なり。『敬礼慈恵大僧正、天台仏法擁護者』、かく唱へ給ひて、すみやかに本国に帰りて往生の業を励むべし』とて帰されけり」と語りけり。聞く人、貴(たうと)み、めでたがることかぎりなし。

その後一両年を経て、また法華転読のために召されたりけり。その後一両年ありて、めでたく往生を遂げたりけり。

翻刻

摂津国に清澄寺と云山寺あり村人はきよし寺とそ申侍
其寺に慈心房尊恵と云老僧ありけり本は叡山の学徒/s52r
也けり多年法華の持者也住山を厭て道心を発して
此所に来て年を送けれは人みな帰依けり承安二年七月
十六日脇足によりかかりて法華経を読奉りける程に夢ともなく
うつつともなくて白帳に立烏帽子きたる男の藁沓はきたる
か立文をもちて来れり尊恵あれはいつくよりの人そと問けれ
は炎魔王宮よりの御使也請文候とて立文を尊恵に
とらせけれは披見に
  崛請
   閻浮提大日本国摂津国清澄寺尊恵慈心房
右来十八日於焔魔庁以十万人之持経者可被転読十
万部法華経宜被参勤者依閻王宜崛請如件/s52l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/52

かくかかれたりけり尊恵いなみ申へき事ならねは領状の
請文書て奉るとみて覚にけり例時の程に成に
けれは寺へ出ぬ例時はてて僧とも出けるに老僧一両
人に此夢の告をかたりけれは昔もかかるためしいひ
つたへたり其用意あるへしといひけれは房に帰りて
つとめいよいよをこたらす寺僧等きほひ来てとふらひけり
十八日の申の終はかりに只今心地すこし例にたかひて
世の中も心細く覚るとてうちふしけるか酉時斗に息
絶にけりさて次日辰の終程にいきかへりて若持法華
経其心甚清浄の偈を四五行か程誦しけり其後お
きあかりて冥途の事共かたり王宮にめされて十万人の/s53r
僧につらなりて法華経転読十万部をはりて法王尊恵
をめしてしとねをまうけてすへらる王は母屋の御簾の
中におはしまして尊恵はあらはに冥官共は大床につら
なり居たりさまさまの物かたりし給しに摂津国に往生
の地五ヶ所あり清澄寺そのうちなり汝順次弥生疑ふ
事なかれ太政入道清盛は慈恵僧正化身也敬礼慈恵
大僧正天台仏法擁護者かく唱給てすみやかに本国に
帰て往生の業をはけむへしとてかへされけりとかたり
けりきく人たうとみめてたかる事限なしそののち
一両年をへて又法華転読のためにめされたりけり其
後一両年ありてめてたく往生を遂たりけり/s53l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/53

1)
比叡山延暦寺
2)
「白張」は底本「白帳」。諸本により訂正。
3)
閻魔王宮
4)
「往生」は底本「弥生」。諸本により訂正。
5)
平清盛
6)
良源
text/chomonju/s_chomonju056.txt · 最終更新: 2020/01/27 17:22 by Satoshi Nakagawa