古今著聞集 釈教第二
50 性信二品親王は三条院末の御子御母は小一条大将済時卿女なり・・・
校訂本文
性信二品親王1)は三条院末の御子、御母は小一条大将済時卿2)女3)なり。昔、母后の御夢に胡僧来たりて、「君の胎に託せんと思ふ」と申しけり。その後懐妊し給ひけり。誕生の日、神光室を照らす。御法は名性信なり。大御室(おほおむろ)とぞ申し侍りける。
院、御瘧病(おこりやみ)の時、諸寺の高僧等、その験を失ひけるに、この親王、朝より孔雀経一部を持ちて参らせ給ひて、御祈念ありけるほどに、すでに御気反(へん)じて、おこらせ給はんとしけるほどに、御室の御膝を枕にして、御休みありけるが、御気色火急げに見えさせ給ひければ、御室、信心をいたして孔雀経を読ませ給ふ。その御涙、経より伝はりて、院の御顔に冷たくかかりけるに、御信心のほど思し召しられけるほどに、すみやか時に御色なほらせ給ひて、その日はおこらせ給はざりけり。勧賞(けんじやう)には仏母院といふ堂を建てて、阿闍梨など置かれけり。
また同じ御時、参内せさせ給ひたりけるに、勅定(ちょくぢやう)に、「世間には以外(もつてのほか)に有験の人と申すなるに、わが見る前にて、その験あらはさるべし」と仰せられければ、勅定背(そむ)きがたくて、しばらく念誦観念せさせ給ひて、御念珠を投げ出だされたりければ、弟子を足にして、二三帀(さふ)ばかり走り歩みたりければ4)、急ぎ御障子を立てて入御ありけるとなん。
すべて、院・宮・関白をはじめ奉りて、霊験を蒙(かうぶ)る人その数多し。さのみはこと長けれは記さず。
応徳二年九月二十七日、つひに往生を遂げさせ給ひにけり。堀川左大臣5)、右大臣の時、紫雲をばまさしく見られけるとぞ。延暦寺僧慶覚は、空中に音楽を聞きけり。荼毘の時、御平生の間とかせ給はざりける御帯、棺の中にて焼けざりけり。不思議のこととぞ世の人申しける。
翻刻
性信二品親王は三条院末の御子御母は小一条大将済時卿 女なり昔母后の御夢に胡僧来て君の胎に託せんと思 ふと申けり其後懐妊し給けり誕生の日神光室をてら す御法名性信也大御室とそ申侍ける院御瘧病の時諸寺 の高僧等其験を失けるに此親王朝より孔雀経一部 を持てまいらせ給て御祈念ありける程に已に御気反して おこらせ給はんしとける程に御室の御膝を枕にして御やす みありけるか御気色火急けに見えさせ給ひけれは御室信 心をいたして孔雀経をよませたまふその御涙経よりつた はりて院の御顔につめたくかかりけるに御信心の程 思食しられける程に速時に御色なをらせ給て其日は発せ/s45l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/45
給はさりけり勧賞には仏母院といふ堂をたてて阿 闍梨なとをかれけり又同御時参内せさせ給たりけるに 勅定に世間には以外に有験の人と申なるに我かみる まへにて其験あらはさるへしと仰られけれは勅定背 かたくてしはらく念誦観念せさせ給て御念珠をなけ いたされたりけれは弟子を足にして二三帀はかり走あゆ みたれけれはいそき御障子をたてて入御ありけるとなんす へて院宮関白をはしめ奉りて霊験を蒙る人その数 多しさのみは事なかけれはしるさす応徳二年九月廿 七日終に往生を遂させ給にけり堀河左大臣右大臣の時 紫雲をはまさしくみられけるとそ延暦寺僧慶覚は/s46r
空中に音楽をききけり荼毘のとき御平生の間とか せたまはさりける御帯棺の中にて焼さりけり不思 議の事とそ世の人申ける/s46l