text:chomonju:s_chomonju048
古今著聞集 釈教第二
48 千観内供は顕密兼学の人にて公請にも従ひけり・・・
校訂本文
千観内供は顕密兼学の人にて、公請(くじやう)にも従ひけり。空也上人の教へによりて遁世したる人なり。
阿弥陀和讃を作りて、自他をして唱へしめけるに、夢に人ありて語りけるは、「信心是深。豈非極楽上品之蓮。菩提無量。定期弥勒下生之暁云々。(信心これ深し。豈に極楽上品の蓮(はちす)に非ざらんや。菩提無量なり。定めて弥勒下生の暁を期す。)」。
遷化の時、手に願文を握り、口に仏号を唱へて終りにけり。権中納言敦忠1)言ひけるは、「大師命終の後、『夢の中に必ず生処を示し給へ』と契約しけるに、闍梨入滅していくばくならずして、夢に蓮華の舟に乗りて、昔作れる弥陀讃を唱へて、西へ行きけり」。
翻刻
千観内供は顕密兼学の人にて公請にも従けり空也 上人の教によりて遁世したる人なり阿弥陀和讃を作て 自他をして唱しめけるに夢に人有てかたりけるは信心 是深豈非極楽上品之蓮菩提無量定期弥勒下生 之暁云々遷化のとき手に願文をにきり口に仏号を唱て おはりにけり権中納言敦忠いひけるは大師命終の後 夢の中に必生処をしめし給へと契約しけるに闍梨 入滅していくはくならすして夢に蓮華の舟に乗て 昔つくれる弥陀讃を唱て西へ行けり/s44r
1)
藤原敦忠
text/chomonju/s_chomonju048.txt · 最終更新: 2020/01/13 19:15 by Satoshi Nakagawa