text:chomonju:s_chomonju034
古今著聞集 釈教第二
34(序) 地神の末に当たりて釈迦如来天竺に出で給ひけり・・・
校訂本文
地神1)の末に当たりて、釈迦如来、天竺に出で給ひけり。鷲嶺(じゆれい)2)に月隠れ、鶴林に煙尽きて、一千四百八十年に当たりて、我朝第三十代欽明天皇十三年に、百済国より始めて金銅釈迦像・経論・幡蓋(ばんがい)等を奉りけり。
御門喜ばせ給ひて、崇め給ひけるを、物部大臣等、わが国は神国なるゆゑをもて、傾(かたぶ)け奏し申しければ、仏像を難波の堀江に流し捨てて、伽藍を焼き払はれにけり。しかる間、空より火下りて、内裏焼けにけり。
敏達3)・用明4)・崇峻天皇三代の間、邪信あひまじはりて、帰依いまだあまねからず。推古天皇の御宇、厩戸豊耳皇子(うまやどとよみみのみこ)5)、東圍の位にそなはり、南面の尊に代はりて、もつぱら万機の政教を垂れて、仏法の興隆をいたし給へり。それよりこの方、仏法弘通(ぐつう)して、効験絶ゆることなし。
翻刻
古今著聞集巻第二 釈教第二 地神のすゑに当て尺迦如来天竺に出給けり鷲嶺 に月かくれ鶴林に煙つきて一千四百八十年に当て 我朝第卅代欽明天皇十三年に百済国より始て金 銅釈迦像経論幡蓋等をたてまつりけり御門よろ こはせ給てあかめ給ひけるを物部大臣等我国は神国 なる故をもてかたふけ奏申けれは仏像を難波堀 江になかしすてて伽藍を焼払はれにけりしかるあひた 空より火くたりて内裏やけにけり敏達用明崇峻天 皇三代の間邪信あひましはりて帰依いまたあまね/s29l
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から推古天皇御宇厩戸豊耳皇子東圍の位に そなはり南面の尊にかはりて専万機の政教をたれ て仏法の興隆をいたし給へりそれよりこのかた仏法弘 通して効験たゆることなし/s30r
text/chomonju/s_chomonju034.txt · 最終更新: 2020/01/05 02:12 by Satoshi Nakagawa