ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:chomonju:s_chomonju020

差分

この文書の現在のバージョンと選択したバージョンの差分を表示します。

この比較画面にリンクする

両方とも前のリビジョン 前のリビジョン
text:chomonju:s_chomonju020 [2020/01/12 23:27]
Satoshi Nakagawa
text:chomonju:s_chomonju020 [2020/02/01 22:19] (現在)
Satoshi Nakagawa [校訂本文]
ライン 24: ライン 24:
 かくて年月を経るほどに、治承元年三月五日、妙音院の大臣((藤原師長))、内大臣にておはしましけるが、太政大臣にのぼり給ひて、小松の大臣((平重盛))、大納言の左大将にて侍りけるが、内大臣にのほられける替りに、大納言に返り成りつつ、六月五日、内大臣、程なく大将を辞し申されければ、「さりとも、この闕には」と、頼み深かりけれども、とかく障りて、月日の過ぎければ、この望み成就せば厳島に詣づべきよしなど、心の中に願を立てられけるほどに、十二月二十七日、つひに左大将になられにけり。若宮の御託宣も思ひあはせられ、厳島の宿願も憑(たの)みありてぞ思ひ給ひける。 かくて年月を経るほどに、治承元年三月五日、妙音院の大臣((藤原師長))、内大臣にておはしましけるが、太政大臣にのぼり給ひて、小松の大臣((平重盛))、大納言の左大将にて侍りけるが、内大臣にのほられける替りに、大納言に返り成りつつ、六月五日、内大臣、程なく大将を辞し申されければ、「さりとも、この闕には」と、頼み深かりけれども、とかく障りて、月日の過ぎければ、この望み成就せば厳島に詣づべきよしなど、心の中に願を立てられけるほどに、十二月二十七日、つひに左大将になられにけり。若宮の御託宣も思ひあはせられ、厳島の宿願も憑(たの)みありてぞ思ひ給ひける。
  
-同じき三年三月晦日、「厳島に参る」とて、出られにけり。大納言実国卿・中納言実家卿など伴(ともな)ひ侍りけるとぞ。この日、中御門の左府((藤原経宗))も参り給ひたりけり。三条左大臣入道((藤原実房))、そのとき大納言なり。六条の太政の大臣((藤原頼実))の、中将にて侍りけるもおはしける、伴ひ申されけり。この度(たび)のことにや、中将、かの島の宝前にて、太平楽の曲舞はれけるが、面白かりけることなり。+同じき三年三月晦日、「厳島に参る」とて、出られにけり。大納言実国卿・中納言実家卿など伴(ともな)ひ侍りけるとぞ。この日、中御門の左府((藤原経宗))も参り給ひたりけり。三条左大臣入道((藤原実房・三条実房))、そのとき大納言なり。六条の太政の大臣((藤原頼実))の、中将にて侍りけるもおはしける、伴ひ申されけり。この度(たび)のことにや、中将、かの島の宝前にて、太平楽の曲舞はれけるが、面白かりけることなり。
  
 ===== 翻刻 ===== ===== 翻刻 =====


text/chomonju/s_chomonju020.1578839251.txt.gz · 最終更新: 2020/01/12 23:27 by Satoshi Nakagawa