古今著聞集 神祇第一
2 内侍所は、昔は清涼殿に定め置き参らせられたりけるを・・・
校訂本文
内侍所は、昔は清涼殿に定め置き参らせられたりけるを、「おのづから無礼の事もあらば、その恐れあるべし」とて、温明殿に移されけり。このこと、いづれの御時のことにか、おぼつかなし。彼の殿、「清涼殿より下がりたる。便なし」とて、内侍所に定められたる方をば、板敷を高く敷き上げられたりけるとぞ。
天徳内裏焼亡に、神鏡みづから飛び出で給ひて、南殿の桜木に懸からせ給ひたりけるを、小野宮殿1)、ひざまづきて、御目を塞ぎて、警蹕を高く唱へて、御上の衣の袖を広げて、受け参らせられければ、即ち飛び帰りて、御袖に入らせ給ひたりと、申し伝へて侍り。されど、このことおぼつかなし。
其日御記云、天徳四年九月二十四日申剋、重光朝臣2)来たりて、申して云はく、火気頗る消罷(やみ)て、温明殿に到りて、之を求むるに、瓦上に鏡一面在り。其の鏡八寸、頭(かしら)に一の瑕(かけ)有りと雖とも、円規甚だ以て分明なり。露(あらはれ)出て破れたる瓦の上に俯す。之を見る者の驚(おどろか)ず云ふ無し。
或御記、かくのごとし。小野宮殿の事見えず。おぼつかなきことなり。
寛弘の焼亡には焼け給ひたりけれど、少しも欠けさせ給はざりけり。その時の公卿勅使、行成卿3)なり。宸筆の宣命は、この御時始まれり。
長久焼亡にぞ焼け損ぜさせ給ひにける。それより、その焼けさせ給ひたる灰を取りて、唐櫃に入れ奉りて、今はおはします、これなり。
世の下りざま、神鏡の御やうにて見えたり。神威いつとても、なじかは変り給ふべきなれども、世の下りゆくさまを示し給ふゆゑ4)に、かくなりゆかせ給ふにこそ。
今、行末いかならん。悲しむべきことなり。
翻刻
内侍所は昔は清涼殿にさためをきまいらせられたり けるををのつから無礼の事もあらは其恐あるへしとて 温明殿にうつされけり此事いつれの御時の事 にかおほつかなし彼殿清涼殿よりさかりたる便なし とて内侍所にさためられたる方をは板敷をたかく しきあけられたりけるとそ天徳内裏焼亡に/s9l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/9
神鏡みつから飛出給て南殿の桜木にかからせ 給ひたりけるを小野宮殿ひさまつきて御目を ふさきて警蹕をたかく唱て御うへの衣の袖を ひろけてうけまいらせられけれは即飛帰て御袖に いらせ給たりと申つたへて侍りされと此事おほつかなし 其日御記云天徳四年九月廿四日申剋重光朝臣来 申云火気頗消罷到温明殿求之瓦上在鏡一面 其鏡八寸頭雖有一瑕円規甚以分明露出俯破瓦 上見之者無不驚或御記かくのことし小野宮 殿の事みえすおほつかなき事也寛弘の焼 亡にはやけ給たりけれと少しもかけ(闕)させ給さりけり/s10r
其の時の公卿勅使行成卿なり□宸筆の宣命は この御時はしまれり長久焼亡にそやけ損せさ せ給にけるそれよりそのやけさせ給たる灰をと りて唐櫃に入たてまつりて今はおはします これなり世のくたりさま神鏡の御やうにて見え たり神威いつとてもなしかはかはり給へきなれとも世 のくたりゆくさまをしめし給ふゆ人にかく成ゆかせ 給にこそ今行末いかならんかなしむへき事也/s10l