宇治拾遺物語
貫之哥事
貫之、歌の事
今は昔、貫之1)の土佐守になりて、下りてありけるほどに、任果ての年、七・八ばかりの子の、えもいはずをかしげなるを、かぎりなくかなしうしけるが、とかくわづらひて失せにければ、泣き惑ひて、病(やまひ)づくばかり思ひこがるるほどに、月ごろになりぬれば、「かくてのみあるべきことかは。上りなん」と思ふに、「児(ちご)のここにて何とありしはや」など思ひ出でられて、いみじう悲しかりければ、柱に書き付けける
都へと思ふにつけて悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
と書き付けたりける歌なん、今までありける。
今は昔貫之の土左守になりてくたりて有ける程に任はての とし七八はかりの子のえもいはすおかしけなるをかきりなくかなしう しけるかとかくわつらひて失にけれは泣まとひてやまひつく斗 おもひこかるる程に月比になりぬれはかくてのみあるへき事かは のほりなんとおもふにちこのここにてなにとありしはやなと思いて られていみしうかなしかりけれは柱に書付ける 宮こへとおもふにつけてかなしきはかへらぬ人のあれはなりけり とかきつけたりける歌なんいままてありける/下58ウy370