大和物語
昔、ならの御門につかうまつる采女(うねべ)ありけり。顔・形いみじくきよらにて、人々よばひ、殿上人などしよばひけれど、あはざりけり。そのあはぬ心は、御門をかぎりなくめでたきものになん思ひ奉りける。
御門、召してけり。さてのち、またも召さざりければ、かぎりなく、「心憂し」と思ひけり。夜昼心にかかりて思え給ひつつ、恋ひしう、わびしく思ひ給ひけり。御門は召ししことも思さず。さすがに、つねには見奉る。いかにも世に経(ふ)べき心地し給はざりければ、夜、みそかに出でて、猿沢の池に身を投げてけり。
かく投げつとも御門は知ろしめさざりけるを、事のついでありて、人の奏しければ、聞こし召してけり。いといたくあはれがり給ひて、池のほとりに行幸(みゆき)し給ひて、人々に歌詠ませ給ふ。
柿本人麻呂、
わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻(たまも)と見るぞ悲しき
と詠める時に、御門、
猿沢の池もつらしなわぎもこが玉も1)かづかば水ぞひまなし
と詠み給ひけり。
さて、この池に墓せさせ給ひてなん、帰らせおはしましけるとなん。
むかしならのみかとにつかうまつる うねへありけりかをかたちいみしく きよらにて人々よはひてんしやう ひとなとしよはひけれとあはさり けりそのあはぬこころはみかとを かきりなくめてたきものにな んおもひたてまつりけるみかと/d50l
めしてけりさてのちまたもめささ りけれはかきりなくこころうしと おもひけりよるひるこころにかかり ておほえたまひつつこひしうわひし くおもひたまひけりみかとはめしし こともおほさすさすかにつねには みたてまつるいかにもよにふへき 心ちしたまはさりけれはよるみ そかにいててさるさはのいけに身を なけてけりかくなけつともみか とはしろしめささりけるを事/d51r
のついてありて人のそうしけれは きこしめしてけりいといたくあはれ かり給ていけのほとりにみゆきし たまひてひとひとにうたよませ給 かきのもとの人まろ わきもこかねくたれかみをさる さはのいけのたまもとみるそかなしき とよめるときにみかと さるさはのいけもつらしなわき もこかたましかつかはみつそひまなし とよみたまひけりさてこのいけに/d51l
はかせさせたまひてなんかへらせ おはしましけるとなん/d52r