大和物語
故中務の宮1)の北の方2)失せ給ひてのち、小さき君たちを引き具して、三条の右大臣殿に住み給ひけり。
御忌みなど過ごしては、つひに一人過ぐし給ふまじかりければ、御おとうとの九の君を、「やがて、え給はん」となん思しけるを、「何かは、さも」と、親・はらからも思したりけるに、いがかありけん、左兵衛督の君3)、侍従にものし給ひけるころ、「その御文、持て来(く)」となん聞き給ひける。
さて、「心づきなし」とや思しけん、もとの宮になんわたり給ひける。
その時に、御息所4)の御もとより、
亡き人の巣守(すもり)にだにもなるべきを今はとかへる今日の悲しさ
宮の御返し
巣守にと思ふ心はとどむれどかひあるべくもなしとこそ聞け
となんありける。
信明 三条右大臣女 重光保光延光等卿母 故中つかさのみやのきたのかたうせ たまひてのちちゐさき君たちを ひきくして三条のうたいしんとのに すみたまひけり御いみなとすこしては ついにひとりすくし給ましかりけれは/d46l
御おとうとの九のきみをやかてえ給はんと なんおほしけるをなにかはさもと おやはらからもおほしたりけるに いかかありけん左兵衛督のきみ侍従 にものしたまひけるころその御 ふみもてくとなんきき給けるさて こころつきなしとやおほしけんもと のみやになんわたり給けるその ときにみやす所の御もとより なきひとのすもりにたにも なるへきをいまはとかへるけふのかなしさ/d47r
みやの御かへし すもりにとおもふこころはととむ れとかひあるへくもなしとこそきけ となんありける/d47l