大和物語
故右京の大夫(かみ)宗于(むねゆき)1)の君、なりいづべきほどに、「わが身のえなりいでぬこと」と思ひ給ひけるころほひ、亭子の御門2)に、紀伊国(きのくに)より石付きたる海松(みる)をなん奉りけるを題にて、人々、歌詠みける。
右京の大夫。
沖つ風ふけゐの浦に立つ波の名残にさへやわれは沈まむ
故右京のかみむねゆきのきみなり いつへきほとにわか身のえなりいて ぬこととおもひたまひけるころほひ ていしの御かとにきのくによりいしつ きたるみるをなんたてまつりけ るをたいにてひとひとうたよみける 右京のかみ(宗于寛平六年正月七日従四位下/一品式部卿本康親王一男)/d18l
おきつかせふけいのうらにたつ なみのなこりにさへや我はしつまむ/d19r