蒙求和歌
劉昆反火 陳留人也
後漢の劉昆、字(あざな)は桓公といへり。
光武帝の御時、はじめ1)広陵2)の守として赴きけり。にはかに火出で来て、民家焼けけるに、劉昆、火に向ひて、頭(かしら)を叩きてうれへければ、風を返して、火を消ちてけり。
後に、弘農守移りにけり。弘農には、猛き虎多くして、人を害しけり。劉昆、境に入りてより、北の方、川を渡りて、長く去りにけり。
おほやけ、召して、侍中とす。「いかなる徳政あるゆゑぞ」と問ひ給ふに、「偶然(たまさかに)」と申せり。左右、その素直なることを笑ふ。をほやけ、「長者の言なり」とて、策に記されにけり。
おもひけつ人の心に従ひて煙(けぶり)に曇る空もあれにき
劉(リウ)昆(コン)反(ハン)火(クハ) 陳留人也 後漢ノ劉昆アサナハ桓公ト/イヘリ光武帝ノ御時家(ハシメ) 広淩ノ守トシテヲモムキケリニハカニ火イテキテ民家ヤ ケケルニ劉昆火ニムカヒテカシラヲタタキテウレヘケレハ風ヲカ ヘシテ火ヲケチテケリ後ニ弘農守ニウツリニケリ弘農ニハ タケキ虎ヲホクシテ人ヲカイシケリ劉昆サカヰニイリテヨリ キタノカタカハヲワタリテナカクサリニケリヲホヤケメシテ侍中 トスイカナル徳政アルユヘソトトヒタマフニ偶然(タマサカニ)ト申セリ左右 ソノスナヲナルコトヲワラフヲホヤケ長者之言ナリトテ策ニ シルサレニケリ ヲモヒケツ人ノ心ニシタカヒテ ケフリニクモルソラモアレニキ/d2-42r