蒙求和歌
師曠清耳
師曠は、心、管絃に長じ、耳、清濁を分かちて、晋の平公の時、大鐘を鋳て工(たくみ)に聞かするに、みな、「声ととのほれり」と思へり。師曠、いまだととのほらず」と言へり。師涓も、師曠に同ず。
師曠、琴を弾くに、鶴、南より来て、廊門の上に集まりて、頸を伸べて舞ふ。照王、ときに 琴を弾かしむるに、風曲を弾く時は、大風吹きて、屋の1)瓦みな飛び、雨曲を弾くときは、天曀々として、雨降(くだ)りけり。「師曠が琴曲は陰陽調和す」とぞ、王、讃め給ひける。
師曠死にて後、一つの琴あり。悲しび泣ける声ありと言へり。
山風にとふべかりけりはなの鐘にまだ色かへぬ声のにほひを
師曠清耳 〃〃ハ心管絃ニ長シ耳清濁ヲ/ワカチテ晋ノ平公ノ時大鐘ヲ鋳テタク ミニキカスルニミナコエトトノヲレリト思ヘリ師曠イマタトトノ ヲラスト云リ師涓モ師曠ニ同ス師曠琴ヲヒクニ鶴南 ヨリ来テ廊門ノウヘニアツマリテクヒヲノヘテマフ照王トキニ 琴ヲヒカシムルニ風曲ヲヒク時ハ大風フキテヤフカハラミナ トヒ雨曲ヲヒクトキハ天曀〃(イテイテ)トシテ雨クタリケリ師曠 カ琴曲ハ陰陽調和ストソ王ホメ給ヒケル 師曠シニテ後ヒトツノ琴アリカナシヒナケルコエアリト云ヘリ 山風ニトフヘカリケリハナノカネニマタ色カヘヌコヱノニホヒヲ/d2-30l