蒙求和歌
于公高門 東海人也
于公が子を于定国といふ。字(あざな)は曼倩といふ。
家の門の破れたるを、親子もろともに繕(つくろ)ひけり。于公がいはく、「この門を高大して、駟馬高蓋入るほどに建つべし。われ、極の司として、ことを行ふに、陰徳多きかゆゑに、わが子孫、かならす家興すべし」と言へり。さて、おほきに高く建ててけり。
その後、定国に至りて、大臣になる。その子、永1)は御史大夫になりにけり。
かげなびく車を見れはわが門(かど)を心ひろくぞ思ひたちける
于公高門 東海人也 于公カ子(コヲ)于定国トイフアサナハ曼倩トイフ家ノ門ノ/d1-46l
ヤフレタルヲ親子モロトモニツクロヒケリ于公カイハクコノ 門ヲ高大シテ駟馬高蓋イルホトニタツヘシ我獄ノツカサ トシテコトヲヲコナフニ陰徳ヲホキカユヱニワカ子孫カナ ラス家ヲコスヘシトイヘリサテヲホキニタカクタテテケリソノノ チ定国ニイタリテ大臣ニナルソノ子永(ヱイハ)御史大夫ニ也ニケリ カケナヒククルマヲミレハワカカトヲココロヒロクソヲモヒタチケル/d1-47r