十訓抄 第三 人倫を侮らざる事
近ごろ、最勝光院に梅盛りなる春、ゆゑづきたる女房一人、釣殿にたたずみて、花を見るほどに、男法師などうちむれて入り来ければ、「こちなし」とや思ひけむ、帰り出でけるを、着たる薄衣(うすぎぬ)の、ことのほかに黄ばみすすけたるを笑ひて、
花を見捨てて帰る猿丸(さるまろ)
と連歌をしかけたりければ、とりあへず、
星まぼる犬の吠えるに驚きて
と付けたりけり。人々、恥ぢて逃げにけり。この女房は俊成卿女(しゅんぜいきょうのむすめ)とて、いみじき歌詠みなりけるが、深く姿をやつしたりけるとぞ。
近来最勝光院ニ梅サカリナル春、ユヘツキタル女房 一人、釣殿ニタタスミテ花ヲミルホトニ、男法師ナ トウチムレテ入キケレハ、コチナシトヤ思ケム帰出ケル ヲ、キタルウスキヌノ、事ノ外ニキハミススケタルヲ笑 ヒテ、 花ヲミステテカヘルサルマロ ト連歌ヲシカケタリケレハ、トリアヘス、 ホシマホルイヌノホエルニオトロキテ、/k121
ト付タリケリ、人々恥テニケニケリ、此女房ハ俊成 卿娘トテ、イミシキ歌ヨミナリケルカ、深ク姿ヲヤツ シタリケルトソ、/k122