今物語
大納言なりける人、日ごろ心を尽されける女房のもとにおはして、物語りなどせられけるが、世に思ふやうならで、明け行く空もなほ心もとなかりければ、あからさまのやうにて、立ち出でて、随身に心を合はせて、「今しばしありて、『まことや、今宵は内裏の番にて候ふものを。もし、思し召し忘れてや』とおとなへ」と教へて、内へ入りぬ1)。
そのままに、しばしありて、こちなげに随身いさめ申しければ、「さることあり。今宵はげに心おくれしにけり」とて、とりあへず急ぎ出でんとせられける気色を見て、この女房、心得て、やがて、いと恨めしげなるに、をりふし雨のはらはらと降りければ、
降れや雨雲の通ひ路(ぢ)見えぬまで心そらなる人やとまると
優(いう)なる気色にて、わざとならずうち出でたりけるに、この大納言、何かのことはなくて、その夜泊まりにけり。
後までも、絶えず訪れられけるは、いとやさしくこそ。
かく申すは、後徳大寺左大臣2)と聞こえし人のこととかや。
大納言なりける人日ころ心をつくされける女房のもとに おはして物かたりなとせられけるか世におもふやうならて あけ行空も猶心もとなかりけれはあからさまのやう にてたちいてて随身に心をあはせていましはしありて まことやこよひは内裏の番にて候ものをもしおほし めしわすれてやとをとなへとをしへてうちいりぬその ままにしはしありてこちなけに随身いさめ申けれは さる事ありこよひはけに心をくれしにけりとてと/s8r
りあへすいそきいてんとせられけるけしきをみてこの 女房心えてやかていとうらめしけなるにおりふし 雨のはらはらとふりけれは ふれや雨雲のかよひちみえぬまて心そらなる人やとまると いふなるけしきにてわさとならすうちいてたりけるに この大納言何かの事はなくてその夜とまりにけり 後まてもたえすをとつれられけるはいとやさしくこそ かく申は後徳大寺左大臣ときこえし人のこととかや/s8l