世継物語 ====== 第1話 一条院御堂の御聟にならせ給ひにければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 今は昔、一条院、御堂の御聟にならせ給ひにければ、もとの堀河右大臣殿、女御、歎かせ給ふこと、いへばをろかなり。上陽人の「春行き、秋暮れども、年を知らずは」と言ひたるやうに、明くるるもしらず、浅ましく嘆かせ給ひて、やすく御殿籠ることなければ、残りの灯火、壁をそむける影も心ぼそく覚さるるに、御前の梅の、心にくくひらけにけるも、これを今まで知らざりけるも、「我身世に経る」と詠まさせ給ふ。   いづこより春は((底本「は」欠))来に((底本「に」欠))けん見し人も絶えにし宿に梅ぞ香れる 日ごろ経て、院、からうじて堀河殿におはしまして御覧ずれば、道見えぬまで荒れたり。哀れに御覧じて入らせ給へれば、女御は御几帳の内に、御硯の箱を枕にして、臥させ給へる。御前に、女房二三人さぶらひけれど、おはしませば引き入れにけり。めやすき人々、あまた候ひけれど、皆出で果てて、え去らぬ人ばかりぞ、残りて侍りける。 見奉らせ給へば、白き御衣(おんぞ)六七ばかり奉りて、御腰のほどに御ふすま曳きかけておはします。御髪(みぐし)いとうるはしく、めでたくて、丈に二尺ばかり余り給へり。只今、二十ばかりにや。されど、若く盛りに、清げに見えさせ給ふ。なほふりがたき形なりかしや。 「御覧じてや」と、驚かし奉らせ給へば、何心なく見上げさせ給へるに、院おはしませば、浅ましくて、御顔を引入させ給へる。御傍らに添ひ臥させ給ひて、よろづに泣きみ笑ひみ、なぐさめ奉らせ給へど、それにつけても、御涙のみ流れ出くれば、よろづに申させ給へどかひもなし。 「一宮いづこにか」と申させ給へば、おはしまして、うち恥ぢしらひておはしませば、「この宮も恥ぢける物を」とて、御涙押しのごはせ給ふもいみじうあはれなり。女御、御そばの方に、畳紙のやうなる物の見ゆるを取りて御覧ずれば、思し召しけることどもを書かせ給へり。   過ぎにける年月何を思ひけん今しも物の嘆かしきかな   打とけて誰もまた寝ぬ夢のよに人のつらさをみるぞ悲しき   千年経んほどを知らねば来ぬ人を松はなほこそ寂しかりけれ   恋しさも辛さも友に知らせつる人をばいかが憂しと思はぬ   とくとだに見えずもあるかな冬の夜の片敷袖にむすぶ氷の など書かせ給へるも、いみじくあはれなり。 このむすぶ氷とある傍らに書かせ給ふ。院の御製   会ふことの滞りつるほどふればとくれどとくる気色だになし 万に命惜しからぬ由をのみ、えもいはず聞えさせ給ふに、宮のたち騒ぎ見送らせ給ふに、また御涙こぼるれば、ついゐさせ給ひてなぐさめ奉らせ給ひて、「此度のだにまいて」と、久しくおはしまさねば、女御、「今はただ此歎を我身のなからんおりぞ絶ゆべきと悲し。いつにてかと思しみたる」。 はかなくて、秋にもなりぬれば、風の音を聞かせ給ふにも   松風は色やみどりに吹きつらん物思ふ人の身にぞしみける 右大臣殿、いみじう思しめし入りたるを、「この世はさる物にて、後の世の有様も心憂く、我身ゆへいたづらになさせ給へる事」といみじういとほしく、心憂く思さる。 さて、つゐに女御は病になりて失せ給ひぬ。父大臣は残ゐて、また歎きしに、失せ給ひにけり。 御堂の御女御、物の怪になりて、おだやかならずおはしけり。悪霊の左大臣殿とはこの御ことなり。堀河大臣顕光と申したり。閑院大将朝光の兄におはす。 ===== 翻刻 ===== 今は昔一条院御堂の御聟にならせ給にけれはもとの 堀河右大臣殿女御歎かせ給事いへはをろか也上陽人 の春行秋くれとも年をしらすはといひたるやうに明 くるるもしらす浅ましくなけかせ給てやすく御とのこも る事なけれは残のともし火かへをそむけるかけも心ほ そく覚さるるにおまへの梅の心にくくひらけにけるも是を 今まて知らさりけるも我身よにふると詠させ給 いつこより春来けんみし人もたえにし宿に梅そかほれる 日比へて院からうして堀河殿におはしまして御覧すれは 道見えぬまてあれたり哀に御覧していらせ給へれは/1オ 女御は御木丁のうちに御硯の箱を枕にしてふさせ給へる 御まへに女房二三人さふらひけれとおはしませはひき入にけ りめやすき人々あまたさふらひけれとみな出はててえさ らぬ人はかりそ残りて侍ける見たてまつらせ給へはし ろき御そ六七はかり奉りて御腰の程に御ふすま曳かけ ておはします御くしいとうるはしく目出度てたけに二尺はか りあまり給へり只今廿はかりにやされとわかくさかりに きよけに見えさせ給なをふりかたきかたちなりかしや御 覧してやとおとろかし奉らせ給へはなに心なく見あけ させ給へるに院おはしませは浅ましくて御かほを引入させ/1ウ 給へる御かたはらにそひふさせ給てよろつになきみ わらひみなくさめ奉らせ給へとそれにつけても御なみ たのみなかれ出くれはよろつに申させ給へとかひもなし一 宮いつこにかと申させ給へはおはしましてうち恥しらひ ておはしませは此宮もはちける物をとて御涙をしの こはせ給もいみしうあはれ也女御おんそはの方にたたう かみのやうなる物のみゆるをとりて御覧すれは思召け る事ともをかかせ給へり 過にける年月何を思ひけん今しも物のなけかしきかな 打とけて誰もまたねぬ夢のよに人のつらさをみるそ悲しき/2オ 千とせへん程をしらねはこぬ人を松は猶こそさひしかりけれ 恋しさもつらさも友にしらせつる人をはいかかうしと思はぬ とくとたに見えすも有かな冬の夜の片敷袖にむすふ氷の なとかかせ給へるもいみしくあはれ也此むすふ氷とある かたはらにかかせ給ゐんの御せい あふことのととこほりつる程ふれはとくれととくるけ色たになし 万に命をしからぬよしをのみえもいはす聞えさせ給に宮 のたちさはき見をくらせ給に又御涙こほるれはついゐさ せ給てなくさめ奉らせ給て此度のたにまいてとひさ しくおはしまさねは女御今はたた此歎を我身のなからん/2ウ おりそたゆへきと悲しいつにてかとおほしみたるはかなくて 秋にも成ぬれば風のをとをきかせ給ふにも 松風は色やみとりに吹つらん物思ふ人の身にそしみける 右大臣殿いみしう思食入たるをこの世はさる物にて後の世 の有さまも心うく我身ゆへいたつらになさせ給へる事といみ しういとおしく心うくおほさるさてつゐに女御は病に成て うせ給ぬ父おとどは残ゐて又歎きしにうせ給にけり御 堂の御女御物のけに成てをたやかならすおはしけり悪霊 の左大臣殿とは此御事也堀河大臣顕光と申たり閑院 大将朝光のあににおはす/3オ