宇治拾遺物語 ====== 第184話(巻14・第11話)御堂関白の御犬、晴明等、奇特の事 ====== **御堂関白御犬晴明等奇特事** **御堂関白の御犬、晴明等、奇特の事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、御堂関白殿((藤原道長))、法成寺を建立し給ひて後は、日ごとに御堂へ参らせ給ひけるに、白き犬を愛してなん飼はせ給ひければ、いつも御身を離れず、御供しけり。 ある日、例のごとく御供しけるが、門を入らんとし給へば、この犬、御先に塞(ふた)がるやうに吠えまはりて、内へ入れ奉らじとしければ、「なんでふ」とて、車より下りて入らんとし給へば、御衣の裾(すそ)を食ひて、引きとどめ申さんとしければ、「いかさま、やうあることならん」とて、榻(しぢ)を召し寄せて、御尻をかけて、晴明((安倍晴明))に、「きと参れ」と召しにつかはしたりければ、晴明、すなはち参りたり。 「かかることのあるは、いかが」と尋ね給ひければ、晴明、しばし占ひ申しけるは、「これは君を呪詛し奉て候ふ物を、道に埋(うづ)みて候ふ。御越えあらましかば、悪しく候ふべきに、犬は通力のものにて、告げ申して候ふなり」と申せば、「さて、それはいづくにか埋みたる。あらはせ」とのたまへば、「やすく候ふ」と申して、しばし占ひて、「ここにてふ」と申す所を、掘らせて見給ふに、土五尺ばかり掘りたりければ、案のごとく物ありけり。 土器(かはらけ)を二つうち合はせて、黄なる紙捻(かみより)にて十文字にからげたり。開きて見れば、中に物もなし。朱砂にて、一文字を土器の底に書きたるばかりなり。「晴明がほかは知りたる者候はず。もし道摩法師((芦屋道満))やつかまつりたるらん。ただして見候はん」とて、懐(ふところ)より紙を取り出だし、鳥の姿に引き結びて、呪を誦(ずん)じかけて、空へ投げ上げれば、たちまちに白鷺になりて、南をさして飛び行きけり。 「この鳥の落ち着かん所を見て参れ」とて、下部(しもべ)を走らするに、六条坊門、万里小路辺に、古りたる家の諸折戸(もろをりど)へ落ち入りにけり。すなはち、家主、老法師にてありける、からめ捕りて参りたり。呪詛のゆゑを問はるるに、「堀川左大臣顕光公((藤原顕光))の語りを得てつかまつりたり」とぞ申しける。 「このうへは、流罪すべけれども、道摩が咎(とが)にはあらず」とて、「向後(きやうこう)、かかるわざすべからず」とて、本国播磨へ追ひ下されにけり。 この顕光公は、死後に怨霊となりて、御堂殿辺へは祟りをなされけり。悪霊左府と名付く云々。犬はいよいよ不便にせさせ給ひけるとなん。 ===== 翻刻 ===== これも今はむかし御堂関白殿法成寺を建立し給てのちは 日ことに御堂へまいらせ給けるに白き犬を愛してなん飼せ給 けれはいつも御身をはなれす御ともしけり或日例のことく御供し けるか門を入らんとし給へは此犬御さきにふたかるやうに吠まはりて 内へ入たてまつらしとしけれは何条とて車よりおりて入んとし 給へは御衣のすそをくひて引ととめ申さんとしけれはいかさま やうある事ならんとて榻をめしよせて御尻をかけて晴明に きとまいれとめしにつかはしたりけれは晴明則まいりたりかかる/下93オy439 事のあるはいかかと尋給けれは晴明しはしうらなひて申けるは これは君を呪詛し奉て候物を道にうつみて候御越あらましかは あしく候へきに犬は通力の物にてつけ申て候也と申せはさてそれは いつくにかうつみたるあらはせとの給へはやすく候と申てしはしうらなひ てここにて候と申所を堀せてみ給に土五尺斗堀たりけれは 案のことく物ありけり土器を二うちあはせて黄なる紙捻にて 十文字にからけたり開てみれは中に物もなし朱砂にて一文字 をかわらけの底にかきたる斗也晴明かほかは知たる者候はすもし 道摩法師や仕たるらん糺して見候はんとて懐より紙を取出し 鳥のすかたに引むすひて呪を誦しかけて空へなけあけれは 忽に白鷺に成て南をさして飛行けり此鳥のおちつかん所を みてまいれとて下部をはしらするに六条坊門万里小路辺に 古たる家のもろおり戸へ落入にけり則家主老法師にてあり/下93ウy440 ける搦捕てまいりたり呪詛のゆへを問るるに堀川左大臣顕光公 の語をえて仕たりとそ申けるこのうへは流罪すへけれとも道摩か 咎にはあらすとて向後かかる態すへからすとて本国播磨へ追 下されにけり此顕光公は死後に怨霊と成て御堂殿辺へはたたり をなされけり悪霊左府となつく云々犬はいよいよ不便にせさせ給けるとなん/下94ウy441