宇治拾遺物語 ====== 第173話(巻13・第13話)清瀧川の聖の事 ====== **清瀧川聖事** **清瀧川の聖の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、清滝川の奥に、柴の庵造りて行ふ僧ありけり。水欲しき時は、水瓶(すいびやう)を飛ばして、汲みにやりて飲みけり。年経にければ、「かばかりの行者はあらじ」と時々慢心おこりけり。 かかりけるほどに、わがゐたる上ざまより、水瓶来たりて、水を汲む。「いかなる者の、またかくはするやらん」とぞ、妬ましく思えければ、「見あらはさん」と思ふほどに、例の水瓶飛び来て、水を汲みて行く。その時、水瓶に付きて行きて見るに、水上に五・六十町上(のぼ)りて、庵見ゆ。行きて見れば、三間ばかりなる庵あり。持仏堂、別にいみじく造りたり。まことに、いみじう貴し。もの清く住まひたり。庵に橘の木あり。木の下に行道(ぎやうだう)したる跡あり。閼伽棚(あかだな)の下に、花がら多く積れり。砌(みぎり)に苔むしたり。神さびたることかぎりなし。 窓の隙(ひま)よりのぞけば、机に経多く、巻さしたるなどあり。不断香の煙満ちたり。よく見れば、歳七・八十ばかりなる僧の貴げなる、五鈷を握り、脇足(けふそく)におしかかりて眠りゐたり。 「この僧を試みん」と思ひて、やはら寄りて、火界呪をもちて加持す。火焔にはかにおこりて、庵につく。聖、眠りながら、散杖(さんぢやう)を取りて、香水にさし浸して、四方にそそく。その時、庵の火は消えて、わが衣に火つきて、ただ、焼きに焼く。下(しも)の聖、大声を放ちて惑ふ時に、上の聖、目を見上げて、散杖を持ちて、下の聖の頭にそそぐ。その時、火消えぬ。 上の聖のいはく、「何料(なにれう)にかかる目をば見るぞ」と問ふ。答へていはく、「これは、年ごろ川の面(つら)に庵を結びて行ひ候ふ修行者にて候ふ。このほど、水瓶の来たりて、水を汲み候ひつる時に、『いかなる人のおはしますぞ』と思ひ候ひて、『見あらはし奉らん』とて参りたり。『ちと試み奉らん』とて、加持しつるなり。御許し候へ。今日よりは御弟子になりて仕へ侍らん」と言ふに、聖、人は何事言ふぞとも思はぬげにてありけりとぞ。 「下の聖、『わればかり貴き者はあらじ』と、憍慢(けうまん)の心ありければ、仏の憎みて、まさる聖をまうけて、合はせられけるなり」とぞ、語り伝へたる。 ===== 翻刻 ===== 今はむかし清滝川のおくに柴の庵つくりておこなふ僧ありけり 水ほしき時は水瓶を飛して汲にやりてのみけり年経にけれは かはかりの行者はあらしと時々慢心おこりけりかかりける程に我ゐたる 上さまより水瓶来て水をくむいかなる物の又かくはするやらんと そねたましくおほえけれは見あらはさんとおもふ程に例の水瓶飛来て 水を汲て行その時水瓶につきて行てみるに水上に五六十町 のほりて庵みゆ行てみれは三間斗なる庵あり持仏堂別に いみしく造たり実にいみしう貴とし物きよくすまゐたり 庵に橘の木あり木の下に行道したるあとあり閼伽棚の下に 花からおほく積れり砌に苔むしたりかみさひたる事限なし 窓のひまよりのそけは机に経おほく巻さしたるなとあり不断 香の煙みちたりよくみれは歳七八十斗なる僧の貴けなる五古を にきり脇足にをしかかりて眠居たり此僧を心みんと思てやはら/下80オy413 よりて火界呪をもちて加持す火焔にはかにおこりて庵につく 聖眠なから散杖をとりて香水にさしひたして四方にそそく其時 庵の火は消て我衣に火付てたた焼にやくしもの聖大声をは なちてまとふ時に上の聖目をみあけて散杖を持て下の聖の 頭にそそく其時火消ぬ上聖のいはく何れうにかかる目をは見そと とふこたへて云これは年ころ河のつらに庵を結て行候修行 者にて候此程水瓶のきて水を汲候つる時にいかなる人のおはし ますそと思候て見あらはし奉らんとて参たりちと心みたてまつらん とて加持しつるなり御ゆるし候へけふよりは御弟子に成て仕侍らん といふに聖人は何事いふそとも思はぬけにて有けりとそ下の 聖我斗たうときものはあらしとけうまんの心ありけれは仏の にくみてまさる聖をまうけてあはせられけるなりとそ語伝たる/下80ウy414