宇治拾遺物語 ====== 第169話(巻13・第9話)念仏僧、魔往生の事 ====== **念仏僧魔往生事** **念仏僧、魔往生の事** ===== 校訂本文 ===== 昔、美濃国伊吹山に、久しく行ひける聖ありけり。阿弥陀仏より他のこと知らず、他事なく念仏申してぞ年経にける。 夜深く、仏の御前に念仏申してゐたるに、空に声ありて、告げていはく、「なんぢ、ねんごろにわれを頼めり。今は念仏の数多く積もりたれば、明日の未の時に、必ず必ず来たりて迎ふべし。ゆめゆめ念仏怠るべからず」と言ふ。その声を聞きて、限りなくねんごろに念仏申して、水を浴(あ)み、香を薫き、花を散らして、弟子どもに念仏もろともに申させて、西に向ひてゐたり。 やうやうひらめくやうにする物あり。手をすり念仏を申して見れば、仏の御身より、金色の光を放ちて、さし入りたり。秋の月の、雲間より現れ出でたるごとく、さまざまの花を降らし、白毫(びやくがう)の光、聖の身を照らす。この時、聖、尻を逆さまになして拝み入る。数珠(ずず)の緒も切れぬべし。観音((観世音菩薩))、蓮台をさし上げて、聖の前に寄り給ふに、紫雲あつくたなびく。聖、這ひ寄りて、蓮台に乗りぬ。さて、西の方へ去り給ひぬ。さて、坊に残れる弟子ども、泣く泣く貴がりて、聖の後世をとぶらひけり。 かくて、七日・八日過ぎて後、坊の下種(げす)法師ばら、「念仏の僧に、湯わかして、浴(あ)むせ奉らん」とて、木こりに奥山に入りたりけるに、はるかなる((「はるかなる」は底本「はかなる」。諸本により訂正。))滝に、さし生ひたる杉の木あり。その木の梢に、叫ぶ声しけり。怪しくて見上げたれば、法師を裸になして梢に縛り付けたり。木登りよくする法師、登りて見れば、極楽へ迎へられ給ひしわが師の聖を、葛(かづら)にて縛り付けて置きたり。 この法師、「いかにわが師は、かかる目をば御覧ずるぞ」とて寄りて、縄を解きければ、「今迎へんずるぞ。『そのほど、しばしかくてゐたれ』とて、仏のおはしまししをば、何しにかく解きゆるすぞ」と言ひけれども、寄りて解きければ、「阿弥陀仏、われを殺す人あり、をうをう」とぞ叫びける。されども、法師ばら、あまた登りて、解き下して、坊へ具して行きたれば、弟子ども、「心憂きことなり」と、歎きまどひけり。聖は人心(ひとごころ)もなくて、二・三日ばかりありて死にけり。 智恵なき聖は、かく天狗に欺かれけるなり。 ===== 翻刻 ===== むかし美濃国伊吹山に久く行ひける聖有けり阿弥陀仏より ほかの事しらす他事なく念仏申てそ年へにける夜深く仏の 御前に念仏申てゐたるに空に声ありて告て云汝念比に我 をたのめり今は念仏のかすおほくつもりたれはあすの未の時に かならすかならすきたりて迎へしゆめゆめ念仏おこたるへからすといふその 声をききてかきりなくねん比に念仏申て水をあみ香をたき 花をちらして弟子ともに念仏もろともに申させて西にむかひて/下75ウy404 ゐたりやうやうひらめくやうにする物あり手をすり念仏を 申てみれは仏の御身より金色の光を放てさし入たり秋 の月の雲間よりあらはれ出たることくさまさまの花をふらし白 毫の光聖の身をてらす此時聖尻をさかさまになして 拝入すすのをもきれぬへし観音蓮台をさしあけて聖の 前により給に紫雲あつく棚引聖はひよりて蓮台にのりぬ さて西のかたへ去給ぬさて坊にのこれる弟子共なくなくたうとかりて 聖の後世をとふらひけりかくて七日八日過て後坊の下す法師 原念仏の僧に湯わかしてあむせたてまつらんとて木こりに奥 山に入たりけるにはかなる滝にさしおひたる椙の木ありその木の 梢にさけふ声しけりあやしくてみあけたれは法師を裸になして 杪にしはりつけたり木のほりよくする法師のほりてみれは極楽へ 迎られ給し我師の聖をかつらにてしはり付て置たり此法師/下76オy405 いかに我師はかかる目をは御らんするそとてよりて縄をときけれは いまむかへんするそその程しはしかくてゐたれとて仏のおはしまししを はなにしにかくときゆるすそといひけれともよりてときけれは阿 弥陀仏我をころす人ありをうをうとそさけひけるされとも法師原 あまたのほりてときおろして坊へくして行たれは弟子とも心うき 事なりと歎まとひけり聖は人心もなくて二三日斗ありて 死けり智恵なき聖はかく天狗にあさむかれけるなり/下76ウy406