宇治拾遺物語 ====== 第158話(巻12・第22話)陽成院の妖物の事 ====== **陽成院妖物事** **陽成院の妖物の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、陽成院((陽成天皇))おりゐさせ給ひての御所は、宮よりは北、西洞院よりは西、油小路よりは東にてなんありける。そこはもの住む所にてなんありける。 大きなる池のありける釣殿に、番の者寝たりければ、夜中ばかりに、細々とある手にて、この男の顔を、そとそとなでけり。「けむつかし」と思ひて、太刀を抜きて、片手にてつかみたりければ、浅黄(あさぎ)の上下(かみしも)着たる翁の、ことのほかに物わびしげなるが言ふやう、「われはこれ、昔住みし主(ぬし)なり。浦島の子が弟(おとと)なり。いにしへより、この所に住みて、千二百余年になるなり。願はくは許し給へ。ここに社を造りて、いはひ給へ。さらば、いかにも守り奉らん」と言ひけるを、「わが心一つにてはかなはじ。このよしを院へ申してこそは」と言ひければ、「憎き男の言ひごとかな」とて、三度(みたび)上ざまへ蹴上げ蹴上げして、なへなへくたくたとなして、落つる所を口を開きて食ひたりけり。なべての人ほどなる男と見るほどに、おびたたしく大きになりて、この男をただ一口に食ひてけり。 ===== 翻刻 ===== 今はむかし陽成院おり居させ給ての御所は宮よりは北西洞院 よりはにし油小路よりは東にてなんありけるそこは物すむ所にて なんありける大なる池のありける釣殿に番のものねたりけれは 夜中斗にほそほそとある手にて此男のかほをそとそとなてけり けむつかしと思て太刀をぬきてかたてにてつかみたりけれは浅 黄の上下きたる叟の事のほかに物わひしけなるかいふ様我は これ昔住しぬしなり浦島の子かおとと也いにしへより此所に すみて千二百余年になる也ねかはくはゆるし給へここに社を 造ていはひ給へさらはいかにもまもりたてまつらんといひけるを 我心ひとつにてはかなはしこのよしを院へ申てこそはといひけれはにく/下65オy383 き男のいひ事かなとて三たひ上さまへけあけけあけしてなへなへ くたくたとなしておつる所を口をあきてくひたりけりなへての人 程なる男とみる程におひたたしく大に成てこの男をたた一口に食てけり/下65ウy384