宇治拾遺物語 ====== 第143話(巻12・第7話)増賀上人、三条宮に参り振舞ひの事 ====== **増賀上人参三条宮振舞事** **増賀上人、三条宮に参り振舞の事** ===== 校訂本文 ===== 昔、多武峯に増賀上人((底本「僧賀上人」。以下全て同じ。))とて、貴き聖おはしけり。きはめて心武(たけ)う、きびしくおはしけり。ひとへに名利を厭(いと)ひて、すこぶる物狂はしくなん、わざと振舞ひ給ひけり。 三条大后(おほきさい)の宮((円融天皇女御藤原詮子。[[:text:k_konjaku:k_konjaku19-18|『今昔物語集』19-18]]では藤原遵子。))、尼にならせ給はんとて、戒師のために召しにつかはされければ、「もつとも貴きことなり。増賀こそは、まことになし奉らめ」とて参りけり。弟子ども、「この御使を嗔(いか)りて打ち給ひなんどやせんずらん」と思ふに、思ひのほかに心安く参り給へば、ありがたきことに思ひあへり。 かくて、宮に参りたるよし申しければ、悦びて召し入れて、尼になり給ふに、上達部・僧ども、多く参り集まり、内裏より御使など参りたるに、この上人は、目は恐しげなるが、体も貴げながら、わづらはしげになんおはしける。 さて、御前に召し入れて、御几帳のもとに参りて、出家の作法して、めでたく長き御髪をかき出だして、この上人にはさませらる。御簾の中(うち)に、女房たち見て泣くことかぎりなし。 はさみ果てて、出でなんとする時、上人、高声(かうしやう)に言ふやう、「増賀をしも、あながちに召すは何事ぞ。心得られ候はず。もし、汚なき物を大なりと聞こし召したるか。人のよりは大きに候へども、今は練絹(ねりぎぬ)のやうにくたくたとなりたるものを」と言ふに、御簾の内近く候ふ女房たち、外には公卿・殿上人・僧たち、これを聞くに、あさましく、目口はだかりて思ゆ。宮の御心地もさらなり。貴さもみな失せて、おのおの身より汗あへて、われにもあらぬ心地す。 さて、上人、「まかり出でなん」とて、袖かき合はせて「年まかり寄りて、風重くなりて、今はただ痢病(りびやう)のみつかまつれば、参るまじく候ひつるを、わざと召し候ひつれば、あひかまへて候ひつる。耐へがたくなりて候へば、急ぎまかり出で候ふなり」とて、出でざまに、西台の簀子(すのこ)についゐて、尻をかかげて、楾(はんざふ)の口より水を出だすやうに、ひり散らす。音高く、臭きことかぎりなし。御前まで聞こゆ。若き殿上人、笑ひののしることおびたたし。僧たちは、「かかる物狂ひを召したること」と、謗(そし)り申しけり。 かやうにことにふれて、物狂ひにわざと振舞ひけれども、それにつけても、貴き覚えは、いよいよまさりけり。 ===== 翻刻 ===== むかし多武峯に僧賀上人とて貴き聖おはしけりきはめて心 武うきひしくおはしけりひとへに名利をいとひて頗物くるはしく なんわさと振舞給けり三条大きさいの宮尼にならせ給はんとて戒 師のためにめしにつかはされけれは尤たうとき事也僧賀こそは誠 になしたてまつらめとて参けり弟子共此御使を嗔て打たまひ なんとやせんすらんとおもふに思の外に心安く参給へはありかたき事 に思あへりかくて宮に参たるよし申けれは悦てめし入て尼に なり給に上達部僧共おほくまいり集り内裏より御使なとまいり たるに此上人は目はおそろしけなるか体も貴けなからわつらはしけに なんおはしけるさて御前に召いれて御几帳のもとに参て出家の作法/下55オy363 してめてたく長き御髪をかき出して此上人にはさませらる御簾中 に女房達見て泣事限なしはさみはてて出なんとする時上人 高声にいふやう僧賀をしもあなかちにめすは何事そ心えられ候 はすもしきたなき物を大なりときこしめしたるか人のよりは大に 候へとも今は練きぬのやうにくたくたと成たる物をと云に御簾の内近く 候女房たち外には公卿殿上人僧たちこれを聞にあさましく目口 はたかりておほゆ宮の御心ちもさらなり貴さもみなうせてをのをの身 より汗あへて我にもあらぬ心ちすさて上人まかり出なんとて袖かき あはせて年罷よりて風をもく成て今はたた痢病のみ仕れはま いるましく候つるをわさとめし候つれは相構て候つる堪かたくなりて 候へはいそきまかりいて候なりとて出さまに西台の簀子についゐて 尻をかかけて楾の口より水をいたすやうにひりちらす音高く臰 事限なし御前まてきこゆわかき殿上人笑ののしる事おひたたし/下55ウy364 僧たちはかかる物狂をめしたる事と謗申けりか様に事にふれて 物狂に態とふるまひけれともそれにつけても貴き覚は弥まさりけり/下56オy365