宇治拾遺物語 ====== 第139話(巻12・第3話)慈恵僧正、受戒の日を延引の事 ====== **慈恵僧正延引受戒之日事** **慈恵僧正、受戒の日を延引の事** ===== 校訂本文 ===== 慈恵僧正、((慈恵大師・良源。底本「良源、永観三年正月三日入滅、七十三歳、近江国人也。」と注記あり。))座主の時、受戒行ふべき定日(ぢやうにち)、例のごとくもよほしまうけて、座主の出仕をあひ待つの所に、途中よりにはかに帰り給へば、供の者ども、「こはいかに」と心得がたく思ひけり。衆徒(しゆと)・諸職人(しよしきじん)も、「これほどの大事、日の定まりたることを、今となりて、さしたる障りもなきに、延引せしめ給ふこと、しかるべからず」と謗ずることかぎりなし。諸国の沙弥等までことごとく参り集まりて、受戒すべきよし思ひゐたる所に、横川小綱(よかわせうかう)を使にて、「今日の受戒は延引なり。重ねたるもよほしにしたがひて行はるべきなり」と仰せ下しければ、「何事によりて、留め給ふぞ」と問ふ。使、「全(また)くそのゆゑを知らず。ただ、『早く走り向ひて、このよしを申せ』とばかりのたまひつるぞ」と言ふ。集まれる人々、おのおの心得ず思ひて、みな退散しぬ。 かかるほどに、未の時ばかりに、大風吹きて、南門にはかに倒れぬ。その時、人々、「『このことあるべし』と、かねて悟りて、延引せられける」と思ひ合はせけり。「受戒行はれましかば、そこばくの人々、みなうち殺されなまし」と、感じののしりけり。 ===== 翻刻 ===== 慈恵僧正(良源永観三年正月三日入滅/七十三歳近江国人也)座主の時受戒行へき定 日例のことく催儲て座主の出仕を相待之所に途中より 俄に帰給へは共の物共こはいかにと心えかたく思けり衆徒諸職人も/下52オy357 これ程の大事日の定たる事を今と成てさしたる障もなき に延引せしめ給事然へからすと謗する事限なし諸国の沙 弥等まて悉参集て受戒すへきよし思ゐたる所に横川小綱を 使にて今日の受戒は延引也重たる催に随て行はるへき也と仰 下しけれは何事によりて留給そととふ使またく其故を しらすたたはやく走向て此由を申せと斗の給つるそと云集れ る人々をのをの心えす思てみな退散しぬかかる程に未の時斗に 大風吹て南門俄に倒れぬ其時人々此事あるへしと兼て さとりて延引せられけると思あはせけり受戒行われましかは そこはくの人々みな打殺されなましと感しののしりけり/下52ウy358