宇治拾遺物語 ====== 第136話(巻11・第12話)出家功徳の事 ====== **出家功徳事** **出家功徳の事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、筑紫に「たうさかのさへ」と申す、斉の神((道祖神))まします。その祠(ほこら)に修行しける僧の宿りて、寝たりける夜、「夜中ばかりにはなりぬらん」と思ふほどに、馬の足音あまたして、人の過ぐると聞くほどに、「斉はましますか」と問ふ声す。この宿りたる僧、「あやし」と聞くほどに、この祠の内より、「侍り」と答ふなり。 また、「あさまし」と聞けば、「明日、武蔵寺にや参り給ふ」と問ふなれば、「さも侍らず。何事の侍るぞ」と答ふ。「明日、武蔵寺に新仏出で給ふべしとて、梵天・帝釈((帝釈天))・諸天・龍神集まり給ふとは知り給はぬか」と言ふなれば、「さることも、え承らざりけり。嬉しく告げ給へるかな。いかでか参らでは侍らん。かならず参らんずる」と言へば、「さらば、明日の巳時ばかりのことなり。必ず参り給へ。待ち申さん」とて過ぎぬ。 この僧、これを聞きて、「希有のことをも聞きつるかな。『明日はものへ行かん』と思ひつれども、このこと見てこそ、いづちも行かめ」と思ひて、明くるや遅きと武蔵寺に参りて見れども、さる気色もなし。例よりはなかなか静かに、人も見えず、「あるやうあらん」と思ひて、仏の御前に候ひて、巳時を待ちゐたるほどに、今しばしあらば、午時になりなんず。 「いかなることにか」と思ひゐたるほどに、年七十余りばかりなる翁の、髪もはげて、白きとてもおろおろある頭に、袋の烏帽子を引き入れて、もとも小さきが、いとど腰かがまりたるが、杖にすがりて歩む。尻に尼立てり。小さく黒き桶に、何かあるらん、物入れて引き下げたり。御堂に参りて、男は仏の御前にて、額(ぬか)二三度ばかりつきて、木欒子(もくれんず)の念珠の大きに長き、押しもみて候へば、尼、その持たる小桶を翁の傍らに置きて、「御房、呼び奉らん」とて往ぬ。 しばしばかりあれば、六十ばかりなる僧参りて、仏拝奉りて、「何せむに呼び給ふぞ」と問へば、「今日明日とも知らぬ身にまかりなりにたれば、この白髪の少し残りたるを剃りて、御弟子にならんと思ふなり」と言へば、僧、目押しすりて、「いと尊きことかな。さらば、とくとく」とて、小桶なりつるは湯なりけり、その湯にて頭洗ひて、剃りて、戒授けつれば、また仏拝み奉りて、まかり出でぬ。その後、また異事(ことごと)なし。さは、この翁の法師になるを随喜して、天衆も集り給ひて、「新仏の出でさせ給ふ」とはあるにこそありけれ。 出家随分の功徳とは、今に始めたることにはあらねども、まして、若く盛りならん人の、よく道心起こして、随分にせん者の功徳、これにていよいよ推し量られたり。 ===== 翻刻 ===== これも今はむかし筑紫にたうさかのさへと申斉の神まします そのほこらに修行しける僧のやとりてねたりける夜夜中 斗にはなりぬらんとおもふ程に馬のあしをとあまたして人 の過るときく程に、斉はましますかととふこゑすこの やとりたる僧あやしときくほとに此ほこらの内より侍り とこたふなり又あさましときけは明日武蔵寺にやま いり給ふととふなれはさも侍らす何事の侍るそとこたふ あす武蔵寺に新仏いて給へしとて梵天帝尺諸天 龍神あつまり給ふとはしり給はぬかといふなれはさる事も えうけたまはらさりけりうれしくつけ給へるかないかてかま いらては侍へらんかならすまいらんするといへはさらはあすの 巳時はかりの事なりかならすまいりたまへまち申/下49ウy352 さんとて過ぬこの僧これをききて希有の事をも ききつるかなあすは物へゆかんと思つれともこの事みて こそいつちもゆかめと思てあくるやをそきとむさし寺 にまいりてみれともさるけしきもなし例よりは中々しつ かに人もみえすあるやうあらんと思て仏の御前に候て巳時 をまちゐたる程に今しはしあらは午時になりなんすいか なる事にかと思ゐたる程に年七十余斗なる翁の髪も はけて白きとてもおろおろある頭にふくろの烏帽子を ひき入てもともちいさきかいととこしかかまりたるか杖に すかりてあゆむしりに尼たてりちいさく黒き桶に なにかあるらん物入て引さけたり御堂にまいりて男は 仏の御前にてぬか二三度斗つきてもくれんすの念珠 の大きになかきをしもみて候へは尼そのもたる小桶を/下50オy353 翁のかたはらにをきて御房よひたてまつらんとていぬし はしはかりあれは六十斗なる僧まいりて仏拝奉て なにせむによひ給そととへはけふあすともしらぬ身に罷 成にたれはこのしらかのすこしのこりたるを剃て御弟子に ならんと思也といへは僧目をしすりていとたうとき事 かなさらはとくとくとて小桶なりつるは湯なりけりその 湯にて頭あらひて剃て戒さつけつれはまた仏おかみ奉て まかりいてぬ其後又こと事なしさはこの翁の法師に なるを随喜して天衆もあつまり給て新仏のいてさせ たまふとはあるにこそありけれ出家随分の功徳とは今に はしめたる事にはあらねともましてわかくさかりならん 人のよく道心おこして随分にせんものの功徳これ にていよいよをしはかられたり/下50ウy354