宇治拾遺物語 ====== 第128話(巻11・第4話)河内守頼信、平忠恒を責むる事 ====== **河内守頼信平忠恒ヲ責事** **河内守頼信、平忠恒を責むる事** ===== 校訂本文 ===== 昔、河内守頼信((源頼信))、上野守にてありし時、坂東に平忠恒といふ兵(つはもの)ありき。「仰せらるること、なきがごとくにする。討たん」とて、多くの軍おこして、かれが住み家の方へ行き向かふに、岩海の遥かにさし入れたる向ひに家を作りて居たり。この岩海回るものならば、七・八日に廻るべし、すぐに渡らば、その日のうちに責めつべければ、忠恒、渡りの舟どもを、みな取り隠してけり。されば、渡るべきやうもなし。 浜ばたにうち出でて、「この浜のままに、廻るべきにこそあれ」と兵ども思ひたるに、上野守の言ふやう、「この海のままに廻りて寄せば、日ごろ経(へ)なん。その間に、逃げもし、また、寄せられぬ構(かま)へもせられなん。今日のうちに寄せて責せんこそ、あの奴は存外にして、慌て惑はんずれ。しかるに、舟どもはみな取り隠したり。いかがはすべき」と、軍(いくさ)どもに問ひ聞けるに、軍ども、「さらに渡し給ふべきやうなし。廻りてこそ寄せさせ給ふべく候へ」と申しければ、「この軍どもの中に、さりとも、この道知りたるものはあるらん。頼信は坂東方はこのたびこそ初めて見れ。されども、わが家の伝へにて、聞き置きたることあり。この海の中には、堤のやうにて、広さ一丈ばかりして、すぐに渡りたる道あるなり。深さは馬の太腹に立つと聞く。このほどにこそ、その道は当りたるらめ。さりとも、この多くの軍どもの中に知りたるものあるらん。さらば、先に立ちて渡せ。頼信、続きて渡さん」とて、馬をかき早めて寄りければ、知りたる者にやありけん、四・五騎ばかり、馬を海にうちおろして、ただ渡りに渡りければ、それにつきて、五・六百騎ばかりの軍ども渡しけり。まことに、馬の太腹に立ちて渡る。 多くの兵の中に、ただ二・三人ばかりぞ、この道は知りたりける。残りはつゆも知らざりけり。「聞くことだにもなかりけり。しかるにこの守殿(かうどの)、この国をば、これこそ始めにておはするに、われらはこれの重代の者どもにてあるに、聞きだにもせず知らぬに、かく知り給へるは、げに人にすぐれ給ひたる兵の道かな」と、みなささやき怖(お)ぢて、渡り行くほどに、忠恒は、「海を回りてぞ、寄せ給はんずらん。舟はみな取り隠したれば、浅道(あさみち)をば、わればかりこそ知りたれ、すぐにはえ渡らざり給はじ。浜を廻り給はん間には、とかくもし、逃げもしてん。さう右なくは、え責め給はじ」と思ひて、心静かに、軍揃へゐたるに、家のめぐりなる郎等、慌て走り来たりていはく、「上野殿は、この海の中に浅き道の候ひけるにより、多くの軍を引き具して、すでにここへ来給ひぬ。いかがせさせ給はん」と、わななき声に、慌てて言ひければ、忠恒、かねての支度にたがひて、「われ、すでに責められなんず。かやうにしたて奉らん」と言ひて、たちまちに名簿(みやうぶ)を書きて、文挟みに挟みて差し上げて、小舟に郎等一人乗せて持たせて、迎へて参らせたりければ、守殿見て、かの名簿を受け取らせていはく、「かやうに名簿に怠り文を添へて出だすは、すでにきたれるなり。されば、あながちに責むべきにあらず」とて、この文を取りて、馬を引き返しければ、軍ども、みな帰りけり。 その後より、いとど守殿をば、「ことにすぐれていみじき人におはします」と、いよいよ言はれけり。 ===== 翻刻 ===== 昔河内守頼信上野守にてありし時坂東に平忠恒といふ 兵ありき仰らるる事なきかことくにするうたんとておほくの軍を こしてかれかすみかの方へ行むかふに岩海のはるかにさし入たる むかひに家を作てゐたりこの岩海まはる物ならは七八日 にめくるへしすくにわたらはその日の中に責つへけれは忠恒わ たりの舟ともをみなとりかくしてけりされはわたるへきやうも なし浜はたに打出てこの浜のままにめくるへきにこそあれと 兵とも思たるに上野守のいふやうこの海のままに廻てよせ は日比へなんその間に逃もし又寄られぬかまへもせられなんけふ/下39ウy332 のうちによせて責んこそあのやつは存外にしてあはてまと はんすれしかるに舟ともはみな取隠したりいかかはすへきと軍 ともに問きけるに軍ともさらに渡し給へきやうなし廻て こそよせさせ給へく候へと申けれは此軍ともの中にさり ともこの道しりたるものはあるらん頼信は坂東方は此たひこそ はしめてみれされとも我家のつたへにてききをきたる事あり この海の中には堤のやうにて広さ一丈はかりしてすくに わたりたる道あるなり深さは馬のふと腹にたつときくこの程に こそその道はあたりたるらめさりともこのおほくの軍ともの 中にしりたるものあるらんさらは先にたちてわたせ頼信つつきて わたさんとて馬をかきはやめてよりけれはしりたる物にや ありけん四五騎斗馬を海に打おろしてたた渡に渡りけれは それにつきて五六百騎斗の軍ともわたしけり誠に馬の太腹に/下40オy333 たちてわたるおほくの兵の中にたた二三人はかりそこの道はしり たりけるのこりは露もしらさりけりきく事たにもなかりけり しかるにこの守殿この国をはこれこそはしめにておはするに我 等はこれの重代の者ともにてあるに聞たにもせすしらぬに かくしり給へるはけに人にすくれ給たる兵の道かなとみなささやき おちて渡り行程に忠恒は海をまはりてそよせ給はんすらん舟 はみなとりかくしたれはあさ道をは我斗こそしりたれすくには えわたらさり給はし浜を廻給はん間にはとかくもし逃もしてん 左右なくはえせめ給はしと思て心しつかに軍そろへゐた るに家のめくりなる郎等あはて走来ていはく上野殿はこの 海の中にあさき道の候けるによりおほくの軍を引くして すてにここへ来給ぬいかかせさせ給はんとわななきこゑにあはてて いひけれは忠恒かねての支度にたかひて我すてに責られなん/下40ウy334 すかやうにしたて奉らんといひてたちまちにみやうふを書 て文はさみにはさみてさしあけて小舟に郎等一人のせても たせてむかへてまいらせたりけれは守殿みてかのみやうふをうけ とらせていはくかやうにみやうふにおこたり文をそへていたすはすて にきたれる也されはあなかちに責へきにあらすとてこの文を とりて馬を引返しけれは軍ともみな帰けりそののちより いとと守殿をはことにすくれていみしき人におはしますと弥いはれけり/下41オy335