宇治拾遺物語 ====== 第126話(巻11・第3話)晴明を心見る僧の事 ====== **晴明ヲ心見僧事(付晴明殺蛙事)** **晴明を心見る僧の事** ===== 校訂本文 ===== 昔、晴明が土御門の家に、老いしらみたる老僧来たりぬ。十歳ばかりなる童部二人具したり。晴明((安倍晴明))、「何ぞの人にておはするぞ」と問へば、「播磨国の者にて候ふ。陰陽師を習はん心ざしにて候ふ。この道に、ことにすぐれておはしますよしを承りて、少々習ひ参らせんとて参るなり」と言へば、晴明が思ふやう、「この法師は、かしこき者にこそあるめれ。われを心みんとて来たる者なり。それに悪(わろ)く見えては、悪かるべし。この法師、少し引きまさぐらん」と思ひて、「供なる童は、式神を使ひて来たるなめり。もし式神ならば、召し隠せ」と、心の中に念じて、袖の内にて印を結びて、ひそかに呪を唱ふ。 さて、法師に言ふやう、「とく帰り給ひね。後に良き日して、習はんとのたまはんことどもは教へ奉らん」と言へば、法師、「あらたふと」と言ひて、手をすりて額に当てて立ち走りぬ。 「今は去ぬらん」と思ふに、法師止まりて、さるべき所々、車宿(くるまやどり)など、のぞき歩(あり)きて、また前に寄り来て言ふやう、「この供に候ひつる童の、二人ながら失せて候ふ。それたまはりて帰らん」と言へば、晴明、「御房は希有のこと言ふ御房かな。晴明は何のゆゑに、人の供ならん者をばとらんずるぞ」と言へば、法師の言ふやう、「さらに、あが君、大きなることわり候ふ。さりながら、ただ許し給はらん」とわびければ、「よしよし。御房の『人の心みん』とて、式神使ひて来るがうらやましきを、ことに思えつるが、異人(ことびと)をこそ、さやうには心得給はめ、晴明をば、いかでさることし給ふべき」と言ひて、物読むやうにして、しばしばかりありければ、外の方より、童二人ながら走り入りて、法師の前に出で来ければ、その折、法師の申すやう、「まことに心み申しつるなり。使ふことはやすく候ふ。人の使ひたるを隠すことは、さらにかなふべからず候ふ。今よりは、ひとへに御弟子となりて候はん」と言ひて、懐(ふところ)より名簿(みやうぶ)引き出でて、取らせけり。 ===== 翻刻 ===== 昔晴明か土御門の家に老しらみたる老僧きたりぬ十歳 斗なる童部二人くしたり晴明なにその人にておはするそ ととへは播磨国の者にて候陰陽師を習はん心さしにて候此 道にことにすくれておはしますよしを承てせうせうならひ まいらせんとてまいるなりといへは晴明か思やう此法師は かしこき者にこそあるめれ我を心みんとてきたるものなり それにわろくみえてはわろかるへしこの法師すこしひき まさくらんと思てともなる童は式神をつかひてきたるなめ りもししき神ならはめしかくせと心の中に念して袖の 内にて印を結てひそかに呪を唱ふさて法師にいふやう/下38オy329 とく帰給ねのちによき日して習はんとの給はん事ともは をしへたてまつらんといへは法師あらたうとといひて手をすりて 額にあてて立はしりぬ今はいぬらんとおもふに法師とまりて さるへき所々車宿なとのそきありきて又前によりきていふ やうこのともに候つる童の二人なから失て候それ給はりて帰らん といへは晴明御房は希有の事いふ御房かな晴明はなにの故に 人のともならんものをはとらんするそといへは法師のいふやうさらに あか君おほきなることはり候さりなからたたゆるし給はらんとわひ けれはよしよし御房の人の心みんとて式神つかひてくるかうら やましきを事におほえつるかこと人をこそさやうには心え給 はめ晴明をはいかてさる事し給へきといひて物よむやうにして しはしはかりありけれは外の方より童二人なから走入て法師の まへに出来けれはそのおり法師の申やう実に心み申つる也/下38ウy330 仕事はやすく候人のつかひたるをかくすことは更にかなふへからす 候今よりはひとへに御弟子となりて候はんといひてふところより 名簿ひきいててとらせけり/下39オy331