宇治拾遺物語 ====== 第123話(巻10・第10話)海賊発心出家の事 ====== **海賊発心出家事** **海賊発心出家の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、摂津国に、いみじく老いたる入道の、行ひうちしてありけるが、人の、「海賊にあひたり」といふ物語するついでに言ふやう、 「われは若かりし折は、まことに楽しくてありし身なり。着る物、食ふ物に飽き満ちて、明け暮れ海に浮びて、世をば過ぐししなり。「淡路の六郎追捕使(ついぶくし)」となんいひし。 それに、安芸の島にて、異船(ことふね)もことになかりしに、舟一艘、近く漕ぎ寄す。見れば、二十五・六ばかりの男の清げなるぞ、主(しう)とおぼくしてある。さては、若き男二・三ばかりにて、わづかに見ゆ。さては、女どものよきなどあるべし。おのづから簾の隙(ひま)より見れば、皮子などあまた見ゆ。物はよく積みたるに、はかばかしき人もなくて、ただこのわが舟につきて歩(あり)く。屋形の上に若き僧一人居て、経読みてあり。下れば同じやうに下り、、島へ寄れば同じやうに寄る。止まればまた止まりなどすれば、この舟をえ見も知らぬなりけり。 「あやし」と思ひて、「問ひてん」と思ひて、「こは、いかなる人の、かくこの舟にのみ具してはおはするぞ。いづくにおはする人にか」と問へば、「周防国より、急ぐことありてまかるが、さるべき頼もしき人も具せねば、恐しくて、この御舟を頼みて、かく付き申したるなり」と言へば、「いとをこがまし」と思ひて、「これは、京にまかるにもあらず。ここに人待るなり。待ちつけて、周防の方へ下らんずるは、いかで具してとはあるぞ。京にのぼらん舟に具してこそおはせめ」と言へば、「さらば、明日こそは、さもいかにもせめ。今宵はなほも舟に具してあらん」とて、島隠れなる所に具して泊まりぬ。 人ども、「ただ今こそ、良き時なめれ。いざ、この舟移してん」とて、この舟にみな乗る時に、ものもおぼえず、あきれ惑ひたり。物のあるかぎり、わが舟に取り入れつ。人どもは、みな男・女、海に取り入るるに、主人、手をこそこそとすりて、水精の数珠(ずず)の緒切れたらんやうなる涙をはらはらとこぼしていはく、「よろづの物はみな取り給へ。ただ、わが命のかぎりは助け給へ。京に老いたる親の、かぎりにわづらひて『今一度見ん』と申したれば、夜を昼にて、告げにつかはしたれば、急ぎまかり上るなり」ともえ言ひやらで、われに目を見合はせて、手をするさまいみじ。「これ、かくな言はせそ。例のごとく、とく」と言ふに、目を見合ひて、泣き惑ふさま、いといといみじ。あはれに無慚(むざう)に思えしかども、「さ言ひていかがせん」と思ひなして、海に入れつ。 屋形の上に、二十ばかりにて、ひはづなる僧の、経袋首にかけて、夜昼(よるひる)経読みつるを取りて、海にうち入れつ。時に手まどひして、経袋を取りて、水の上に浮びながら、手をささげて、この経をささげて、浮き出で浮き出でする時に、「希有の法師の今まで死なぬ」とて、舟の櫂(かい)して頭をはたと打ち、背中を突き入れなどすれど、浮き出で浮き出でしつつ、この経をささぐ。 「あやし」と思ひてよく見れば、この僧の水に浮かびたる跡枕(あとまくら)に、美しげなる童の、びづら結ひたるが、白き楚(すはえ)を持ちたる、二・三人ばかり見ゆ。僧の頭(かしら)に手をかけ、一人は経をささげたる腕(かひな)を取らへたりと見ゆ。かたへの者どもに、「あれ見よ。この僧に付きたる童部(わらはべ)は何ぞ」と言へば、「いづら、いづら。さらに人なし」と言ふ。わが目には、たしかに見ゆ。この童部そひて、あへて海に沈むことなし。浮かびてあり。あやしければ、「見ん」と思ひて、「これに取り付きて来(こ)。」とて、棹をさしやりたれば、取り付きたるを引き寄せたれば、人々、「など、かくはするぞ。よしなきわざする」と言へば、「さはれ、この僧一人は生けん」とて、舟に乗せつ。近くなれば、この童部は見えず。 この僧に問ふ。「われは京の人か。いづこへおはするぞ」と問へば、「田舎の人に候ふ。法師になりて、久しく受戒をえつかまつらねば、『いかで京に上りて受戒せん』と申ししかば、『いざ、われに具して、山((比叡山延暦寺))に知りたる人のあるに、申しつけて、せさせん』と候ひしかば、まかり上りつるなり」と言ふ。「わ僧の頭や腕に取り付たりつる児どもは誰(た)そ。何ぞ」と問へば、「いつか、さるもの候ひつる。さらに覚えず」と言へば、「さて、経ささげつる腕にも、童添ひたりつるは。そもそも、何と思ひて、ただ今死なんとするに、この経袋をばささげつるぞ」と問へば、「死なんずるは、思ひまうけたれば、命は惜しくもあらず。『われは死ぬとも、経を、しばしがほども濡らし奉らじ』と思て、ささげ奉りしに、腕たゆくもあらず、あやまりて軽(かろ)くて、腕も長くなるやうにて、高くささげられ候ひつれば、御経のしるしとこそ。死ぬべき心地にも覚え候ひつれ。命生けさせ給はんは、嬉しきこと」とて泣くに、この婆羅門(ばらもん)のやうなる心にも、あはれに尊く思えて、「『これより国へ帰らん』とや思ふ。また、京に上りて、受戒遂げんの心あらば送らん」と言へば、「さらに受戒の心も今は候はず。ただ、帰り候ひなん」と言へば、「これより返しやりてんとす。さても、美しかりつる童部は、いかにか、かく見えつる」と語れば、この僧、あはれに尊く思えて、ほろほろと泣かる。 「七つより法華経を読み奉りて、日ごろも異事(ことごと)なく、物の恐しきままにも読み奉りたれば、十羅刹(じふらせつ)のおはしましけるにこそ」と言ふに、この婆羅門のやうなる者の心に、「さは、仏経は、めでたく尊くおはしますものなりけり」と思ひて、この僧に具して、「山寺などへ往(い)なん」と思ふ心つきぬ。 さて、この僧と二人具して、糧(かて)少しを具して、残りの物どもは知らず、みなこの人々に預けて行けば、人々、「ものに狂ふか。こはいかに。にはかの道心、よにあらじ。もののつきたるか」とて制し止むれども聞かで、弓・胡籙(やなぐひ)・太刀・刀もみな捨てて、この僧に具して、これが師の山寺なる所に行きて、法師になりて、そこにて経一部読み参らせて、行ひ歩(あり)くなり。 かかる罪をのみ作りしが無慚(むざう)に思えて、この男の手をすりて、はらはらと泣きまどひしを、海に入れしより、少し道心おこりにき。それに、いとどこの僧に十羅刹の添ひておはしましけると思ふに、法華経のめでたく読み奉らまほしく思えて、にわかにかくなりてあるなり。」 と語り侍りけり。 ===== 翻刻 ===== 今はむかし摂津国にいみしく老たる入道のおこなひうちして ありけるか人の海賊にあひたりといふ物語するついてにいふ やう我は若かりしおりはまことにたのしくてありし身也きる物食物に/下32ウy318 あきみちて明くれ海にうかひて世をは過しなり淡路の六 郎ついふくしとなんいひしそれに安芸の島にてこと船もことに なかりしに舟一艘ちかくこきよすみれは廿五六斗の男のきよけなるそ しうとおほくしてあるさてはわかき男二三はかりにてわつかに みゆさては女とものよきなとあるへしをのつから簾のひまより みれは皮子なとあまたみゆ物はよくつみたるにはかはかしき 人もなくてたたこの我舟につきてありく屋形のうへに若き僧 一人ゐて経よみてありくたれはおなしやうにくたり島へよれは おなしやうによるとまれはまたとまりなとすれは此舟をえ見も しらぬなりけりあやしと思てとひてんとおもひてこはいか なる人のかくこの舟にのみくしてはおはするそいつくにおは する人にかととへは周防国よりいそく事ありてまかるかさるへき たのもしき人もくせねはおそろしくて此御舟をたのみて/下33オy319 かくつき申たるなりといへはいとをこかましと思てこれは京に まかるにもあらすここに人待なり待つけてすはうのかたへ くたらんするはいかてくしてとはあるそ京にのほらん舟にくして こそおはせめといへはさらはあすこそはさもいかにもせめこよひは 猶も舟にくしてあらんとてしまかくれなる所にくしてとまり ぬ人ともたたいまこそよき時なめれいさこの舟うつしてんとて この舟にみなのる時に物もおほえすあきれまとひたり物のある かきり我舟にとり入つ人ともはみな男女海にとりいるるに主人 手をこそこそとすりて水精のすすの緒きれたらんやうなる涙を はらはらとこほしていはくよろつの物はみな取給へたた我命の かきりはたすけ給へ京に老たる親のかきりにわつらひて今一 度みんと申たれはよるをひるにてつけにつかはしたれはいそき罷 のほる也ともえいひやらて我に目を見あはせて手をするさまい/下33ウy320 みしこれかくないはせそれいのことくとくといふに目を見合て なきまとふさまいといといみしあはれにむさうにおほえしか ともさいひていかかせんと思なして海に入つ屋形の上に廿斗 にてひわつなる僧の経袋くひにかけてよるひる経よみつるを とりて海にうち入つ時に手まとひして経袋をとりて水 のうへにうかひなから手をささけて此経をささけてうき出うき出 する時にけうの法師のいままて死なぬとて舟のかいして 頭をはたとうちせなかをつきいれなとすれとうき出うき出しつつ 此経をささくあやしと思てよくみれは此僧の水にうかひたる 跡枕にうつくしけなる童のひつらゆひたるかしろきすはへを 持たる二三人はかりみゆ僧の頭に手をかけ一人は経をささけ たるかひなをとらへたりとみゆかたへの者ともにあれみよこの 僧につきたる童部はなにそといへはいつらいつら更に人なしと/下34オy321 いふ我目にはたしかにみゆ此童部そひてあへて海にしつ む事なしうかひてありあやしけれはみんと思てこれにとり つきてことて棹をさしやりたれはとりつきたるを引よせ たれは人々なとかくはするそよしなきわさするといへはさは れ此僧ひとりはいけんとて舟にのせつちかくなれは此わらは へはみえす此僧にとふ我は京の人かいつこへおはするそととへはゐ 中の人に候法師になりて久しく受戒をえ仕らねはいかて京に のほりて受戒せんと申しかはいさ我にくして山にしりたる 人のあるに申つけてせさせんと候しかはまかりのほりつる也と いふわ僧の頭やかひなに取付たりつる児共はたそなにそととへ はいつかさるもの候つる更におほえすといへはさて経ささけつる かひなにも童そひたりつるは抑なにと思て只今しなんとするに 此経袋をはささけつるそととへは死なんするは思まうけたれは/下34ウy322 命は惜くもあらす我はしぬとも経をしはしか程もぬらしたて まつらしと思てささけ奉しにかひなたゆくもあらすあやま りてかろくてかいなもなかくなるやうにてたかくささけられさ ふらひつれは御経のしるしとこそしぬへき心ちにもおほえ候 つれ命いけさせ給はんはうれしき事とてなくに此婆羅門 のやうなる心にもあはれにたうとくおほえてこれより国へ帰らん とやおもふ又京に上て受戒とけんの心あらはをくらんといへは 更に受戒の心も今は候はすたた帰りさふらひなんといへはこ れより返しやりてんとすさてもうつくしかりつる童部は何にか かくみえつるとかたれはこの僧あはれにたうとくおほえてほろほろ となかる七より法花経をよみ奉て日比もことことなく物のおそ ろしきままにもよみ奉りたれは十羅刹のおはしましけるに こそといふに此婆羅門のやうなるものの心にさは仏経は目出くたう/下35オy323 とくおはします物なりけりと思て此僧にくして山寺なとへ いなんとおもふ心つきぬさて此僧と二人くしてかてすこしをくし てのこりの物ともはしらすみなこの人々にあつけてゆけは人 々物にくるふかこはいかに俄の道心よにあらしもののつきたるか とてせいしととむれともきかて弓やなくひ太刀刀もみな捨て 此僧にくしてこれか師の山寺なる所にいきて法師に成てそこ にて経一部よみまいらせておこなひありくなりかかる罪をのみ つくりしかむさうにおほえて此男の手をすりてはらはらと泣 まとひしを海に入しよりすこし道心おこりにきそれに いとと此僧に十羅刹のそひておはしましけるとおもふに法花 経のめてたく読たてまつらまほしくおほえて俄にかく成てある なりとかたり侍けり/下35ウy324