宇治拾遺物語 ====== 第120話(巻10・第7話)豊前王の事 ====== **豊前王事** **豊前王の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、柏原の御門((桓武天皇))の御子の五の御子にて、豊前(とよさき)の大君といふ人ありけり。四位にて、司は刑部卿、大和守にてなんありける。 世のことをよく知り、心ばえ素直にて、大やけの御政(まつりごと)をも、良き悪しき、よく知りて、除目(ぢもく)のあらんとても、まづ、国のあまた空きたる、望む人あるをも、国のほどに当てつつ、「その人は、その国の守にぞなさならむ」、「その人は道理立てて望むとも、えならじ」など、国ごとに言ひゐたりけることを、人聞きて、除目の朝(あした)に、この大君の推し量りごとに言ふことは、つゆ違(たが)はねば、「この大君の推し量り除目、かしこし」と言ひて、除目の前(さき)には、この大君の家に行き集ひてなん、「なりぬべし」と言ふ人は、手をすりて喜び、「えならじ」と言ふを聞きつる人々は、「何事言ひたる古(ふる)大君ぞ。斎(さへ)の神祭りて狂ふにこそあめれ」など、つぶやきてなん帰りける。 「かくなるべし」といふ人のならで、不慮に異人(ことびと)なりたるをば、「悪しくなされたり」となん、世にはそしりける。されば、大やけも「豊前の大君は、いかが除目をば言ひける」となん、親しく候ふ人には、「行きて問へ」となん仰せられける。 これは、田村((文徳天皇))、水の尾((清和天皇))などの御時になんありけるにや。 ===== 翻刻 ===== 今はむかし柏原の御門の御子の五の御子にてとよさきの大 きみといふ人ありけり四位にて司は刑部卿大和守にてなん有 ける世の事をよくしり心はえすなをにて大やけの御政をもよき あしきよくしりて除目のあらんとても先国のあまたあきたるの そむ人あるをも国のほとにあてつつその人はその国の守にそなさ ならむその人は道理たてて望ともえならしなと国毎にいひ ゐたりける事を人ききて除目の朝にこの大君のをしはかり 事にいふ事は露たかはねはこの大君のをしはかり除目かし こしといひてちもくのさきには此おほきみの家にいきつとひて なんなりぬへしといふ人は手をすりてよろこひえならしと云を ききつる人々はなに事いひたるふる大君そさえの神まつりてくるふ にこそあめれなとつふやきてなん帰けるかくなるへしといふ人/下30オy313 のならて不慮にこと人なりたるをはあしくなされたりとなん 世にはそしりけるされは大やけもとよさきの大君はいかか除目 をはいひけるとなんしたしく候人には行てとへとなん仰られ けるこれは田村水のおなとの御時になんありけるにや/下30ウy314