宇治拾遺物語 ====== 第112話(巻9・第7話)大安寺別当の女に嫁する男、夢を見る事 ====== **大安寺別当女ニ嫁スル男夢見事** **大安寺別当の女に嫁する男、夢を見る事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、奈良の大安寺の別当なりける僧の女(むすめ)のもとに、蔵人なりける人、忍びてかよふほどに、せめて思はしかりければ、時々は昼もとまりけり。 ある時、昼寝したりける夢に、にはかにこの家の内に、上下の人、とよみて泣きけるを、「いかなることやらん」と怪しければ、立ち出でてみれば、舅(しうと)の僧、妻の尼公より始めて、ありとある人、みな大きなる土器(かはらけ)をささげて泣きけり。「いかなれば、この土器をささげて泣くやらん」と思ひて、よくよく見れば、銅(あかがね)の湯を土器ごとに盛れり。うちはりて、鬼の飲ませんにだにも、飲むべくもなき湯を、心と泣く泣く飲むなりけり。からくして飲み果てつれば、また、乞ひそへて飲むものもあり。下臈に至るまでも、飲まぬ者なし。 わが傍らに臥したる君を、女房来て呼ぶ。起きて去ぬるを、おぼつかなさに、また見れば、この女も大きなる銀の土器(かはらけ)に、銅の湯を一土器入(ひとかはらけ)て、女房取らすれば、この女取りて、細くらうたげなる声をさし上げて、泣く泣く飲む。目鼻より煙くゆり出づ。「あさまし」と見て、立てるほどに、また、「客人(まらうど)に参らせよ」と言ひて、土器を台にすゑて、女房持て来たり。「われもかかるものを飲まんずるか」と思ふに、あさましくて、まどふと思ふほどに夢覚めぬ。 おどろきて見れば、女房食ひ物を持て来たり。舅の方にも物食ふ音してののしる。「寺の物を食ふにこそあるらめ。それがかくは見ゆるなり」と、ゆゆしく心憂く思えて、女の思はしさも憂せぬ。 さて、心地の悪しきよしをいひて、ものも食はずして出でぬ。その後は、つひにかしこへは行かずなりにけり。 ===== 翻刻 ===== 今はむかし奈良の大安寺の別当なりける僧の女のもとに蔵人 なりける人しのひてかよふほとにせめて思はしかりけれは時々は 昼もとまりけりある時ひるねしたりける夢に俄に此家の 内に上下の人とよみてなきけるをいかなる事やらんとあやし けれは立出てみれはしうとの僧妻の尼公より始てありとある 人みな大きなる土器をささけてなきけりいかなれは此かはらけ をささけてなくやらんとおもひてよくよくみれは銅の湯を土器 ことにもれり打はりて鬼の飲せんにたにものむへくもなき 湯を心となくなくのむなりけりからくしてのみはてつれは又こひ そへてのむものもあり下らうにいたるまてものまぬものなし我かた はらにふしたる君を女房きてよふおきてゐぬるをおほつかなさに/下19オy291 又みれはこの女も大なる銀の土器に銅の湯を一土器入て女房 とらすれはこの女とりてほそくらうたけなる声をさしあけ てなくなくのむ目鼻より煙くゆりいつあさましとみてたてる 程に又まら人にまいらせよといひて土器をたいにすへて女房もて きたり我もかかる物をのまんするかとおもふにあさましくてまとふ と思ふ程に夢さめぬおとろきてみれは女房くい物をもて きたりしうとのかたにも物くふをとしてののしる寺の物をくふに こそあるらめそれかかくはみゆるなりとゆゆしく心うくおほえて むすめの思はしさもうせぬさて心ちのあしきよしをいひてものも くはすして出ぬ其後はつゐにかしこへはゆかすなりにけり/下19ウy292