宇治拾遺物語 ====== 第107話(巻9・第2話)宝志和尚、影の事 ====== **宝志和尚影事** **宝志和尚、影の事** ===== 校訂本文 ===== 昔、唐土(もろこし)に宝志和尚(ほうしくわしやう)((宝誌・保誌とも表記する。))といふ聖あり。 いみじく尊くおはしければ、御門、「かの聖の姿を書き留めん」とて、絵師三人をつかはして、「もし一人しては、書き違(たが)ゆることもあり」とて、三人して、面々に写すべきよし、仰せ含められて、つかはさせ給ふに、三人の絵師、聖のもとへ参りて、かく宣旨を蒙りて、詣でたるよし申しければ、「しばし」と言ひて、法服の装束して、出で合ひ給へるを、三人の絵師、おのおの書くべき絹を広げて、三人並びて、筆を下さんとするに、聖、「しばらく。わがまことの形あり。それを見て書き写すべし」とありければ、絵師、さうなく書かずして、聖の御顔を見れば、大指の爪にて、額(ひたい)の皮をさし切りて、皮を左右へ引きのけてあるより、金色の菩薩の顔をさし出でたり。 一人の絵師は、十一面観音と見る。一人の絵師は、聖観音と拝み奉る。おのおの見るままに写し奉りて、持ちて参りたりければ、御門、驚き給ひて、別の使(つかひ)をやらせ給ひて、問はせ給ふに、かい消つやうにして、失せ給ひぬ。 それよりぞ、「ただ人にてはおはせざりけり」と申し合へりける。 ===== 翻刻 ===== 昔もろこしに宝志和尚と云聖ありいみしくたうとくおはし/下7ウy268 けれは御門かの聖の姿を書ととめんとて絵師三人をつか はしてもし一人しては書たかゆる事もありとて三人して面々に うつすへきよし仰ふくめられてつかはさせ給に三人の絵師聖の もとへまいりてかく宣旨を蒙てまうてたるよし申けれはしはしといひ て法服の装束して出合給へるを三人の絵師各かくへき絹 をひろけて三人ならひて筆をくたさんとするに聖しはらく我 まことの形ありそれをみて書うつすへしと有けれは絵師左右なく かかすして聖の御顔をみれは大指の爪にてひたいの皮をさし きりて皮を左右へ引のけてあるより金色の菩薩のかほをさし出 たり一人の絵師は十一面観音とみる一人の絵師は聖観音と 拝たてまつる各みるままにうつしたてまつりて持て参たりけれは御 門おとろき給て別の使をやらせ給てとはせ給ふにかいけつやう にして失給ぬそれよりそたた人にてはおはせさりけりと申あへりける/下8オy269