宇治拾遺物語 ====== 第99話(巻8・第1話)大膳大夫以長、前駆の間の事 ====== **大膳大夫以長前駆之間事** **大膳大夫以長、前駆の間の事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、橘大膳亮大夫以長((橘以長))といふ、蔵人の五位ありけり。法勝寺千僧供養に鳥羽院((鳥羽天皇))御幸ありけるに、宇治左大臣((藤原頼長))参り給ひけり。 さきに公卿の車行きけり。しりより、左府参り給ければ、車を押さへてありければ、御前の随身、下りて通りけり。それに、この以長、一人下りざりけり。「いかなることにか」と見るほどに、通らせ給ひぬ。 さて、帰らせ給ひて、「いかなることぞ。公卿あひて、礼節して車を押さへたれば、御前の随身みな下りたるに、未練の者こそあらめ、以長下りざりつるは」と仰せらる。以長、申すやう、「こは、いかなる仰せにか候ふらん。礼節と申し候ふは、前にまかる人、しりより御出でなり候はば、車を遣り返して、御車に向へて、牛をかき外して、榻(しぢ)にくび木を置きて、通し参らするをこそ礼節とは申し候ふに、さきに行く人、車を押さへ候へども、しりを向け参らせて通し参らするは、『礼節にては候はで、無礼をいたすに候ふ』とこそ見えつれば、『さらん人には、なんでう下り候はむずるぞ』と思ひて、下り候はざりつるに候ふ。『誤りてさも候はば、うち寄せて、一言葉申さるや』と思ひ候ひつれども、以長、年老い候ひにたれば、押さへて候ひつるに候ふ」と申しければ、左大臣殿、「いさ、このこと、いかがあるべからん」とて、あの御方に((底本傍注「富家殿歟」。富家殿は頼長の父、藤原忠実))、「かかることこそ候へ。いかに候はんずることぞ」と申させ給ひければ、「以長、古侍(ふるさぶらひ)に候ひけり」とぞ、仰せごとありける。 昔はかき外して、榻をば轅(ながえ)の中に下りんずるやうに置きけり。これぞ、礼節にてはあんなるとぞ。 ===== 翻刻 ===== これもいまはむかし橘大膳亮大夫以長といふ蔵人の五位有 けり法勝寺千僧供養に鳥羽院御幸有けるに宇治左 大臣まいり給けりさきに公卿の車行けりしりより左 府まいり給けれは車ををさへて有けれは御前の随身おり てとほりけりそれにこの以長一人おりさりけりいかなる事 にかとみる程にとほらせ給ぬさて帰らせ給ていかなる事そ公卿 あひて礼節して車ををさへたれは御前の随身みなおり たるに未練の物こそあらめ以長おりさりつるはと仰らる以 長申やうこはいかなる仰にか候らん礼節と申候は前にまかる 人しりより御出なり候はは車を遣返して御車にむかへ て牛をかきはつして榻にくひ木ををきてとほしまいらするを/112オy227 こそ礼節とは申候にさきに行人車ををさへ候ともしり をむけまいらせてとほしまいらするは礼節にては候はて無礼 をいたすに候とこそみえつれはさらん人にはなんてうおり候 はむするそと思ており候はさりつるに候あやまりてさも候 はは打よせて一こと葉申さるやと思候つれとも以長年老 候にたれはをさへて候つるに候と申けれは左大臣殿いさ この事いかかあるへからんとてあの御方に(富家殿歟)かかる事こそ 候へいかに候はんする事そと申させ給けれは以長ふるさふら ひに候けりとそ仰事ありけるむかしはかきはつして 榻をは轅のなかにおりんするやうにをきけりこれそ礼節 にてはあんなるとそ/112ウy228