宇治拾遺物語 ====== 第93話(巻7・第2話)播磨の守為家の侍、佐多の事 ====== **播磨守為家侍佐多事** **播磨の守為家の侍、佐多の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、播磨守為家((高階為家))といふ人あり。それが内に、させることもなき侍あり。字(あざな)「さた((目録には「佐多」、[[:textt:k_konjaku:k_konjaku24-56|『今昔物語集』24ー56]]には「佐太」))」となんいひけるを、例の名をば呼ばずして、主も傍輩(はうばい)も、ただ「さた」とのみ呼びける。 さしたることはなけれども、まめに使はれて、年ごろになりにければ、あやしの郡の収納(すなう)などせさせければ、喜びて、その郡に行きて、郡司のもとに宿りにけり。なすべきものの沙汰などいひ沙汰して、四・五日ばかりありて上りぬ。 この郡司がもとに、京よりうかれて、人にすかされて来たりける女房のありけるを、いとほしがりて、養ひ置きて、物縫はせなど使ひければ、さやうのことなども心得てしければ、あはれなる者に思ひて置きたりけるを、このさたに従者が言ふやう、「郡司が家に、京の女房といふ者の。形よく髪長きがさぶらふを、隠し据ゑて、殿にも知らせ奉らで置きて候ふぞ」と語りければ、「ねたきことかな。わ男、かしこにありし時は言はで、ここにてかく言ふは憎きことなり」と言ひければ、「そのおはしましし傍らに、きりかけの侍りしを隔てて、それがあなたにさぶらひしかば、『知らせ給ひたるらん』とこそ思ひ給へしか」と言へば、「このたびは、『しばし行かじ』と思ひつるを、いとま申して、とく行きて、その女房かなしうせん」と言ひけり。 さて、二・三日ばかりありて、為家に、「沙汰すべきことどもの候(さぶら)ひしを、沙汰しさして参りて候ひしなり。いとま給はりてまからん」と言ひければ、「ことを沙汰しさしては、何(なに)せんに上りけるぞ。とく行けかし」と言ひければ、喜びて下(くだ)りたりけり。 行き着きけるままに、とかくのことも言はず、もとより見馴れなどしたらんにてだに、うとからんほどはさやはあるべき、従者などにせんやうに、着たりける水干のあやしげなりけるが、ほころび絶えたるを、切りかけの上より投げ越して、高やかに、「これがほころび、縫ひておこせよ」と言ひければ、ほどもなく投げ返したりければ、「『物縫はせ事さす』と聞くが、げにとく縫ひておこせたる女人かな」と、荒らかなる声して讃めて、取りてみるに、ほころびをば縫はで、陸奥国紙(みちのくにがみ)の文を、そのほころびのもとに結び付けて、投げ返したるなりけり。 「あやし」と思て、広げて見れば、かく書きたり。   われが身は竹の林にあらねどもさたが衣(ころも)を脱ぎ懸くる哉 と書きたるを見て、「あはれなり」と思ひ知らんことこそなからめ、見るままに大きに腹を立てて、「目つぶれたる女人かな。ほころび縫ひにやりたれば、ほころびの絶えたる所をば、見だにえ見付けずして、『さたの』とこそ言ふべきに、かけまくもかしこき守殿(かうのとの)だにもまだこそ、ここらの年月ごろ、まだしか召さね。なぞ、わ女め、『さたが』といふべきことか。この女人に物習はさん」と言ひて、よにあさましき所をさへ、「なにせん、かせん」と呪(の)り呪(のろ)ひければ、女房はものも思えずして泣きけり。 腹立ち散らして、郡司をさへ呪りて、「いで、これ申して、ことにあはせん」と言ひければ、郡司も、「よしなき人をあはれみて置きて、その徳には、果ては勘当かぶるにこそあなれ」と言ひければ、かたがた、女、恐しうわびしく思ひけり。 かく腹立ちしかりて、帰り上りて、侍(さぶらひ)にて、「やすからぬことこそあれ。物も覚えぬ腐り女に、かなしう言はれたる。守殿だに『さた』とこそ召せ、この女め、『さたが』と言ふべきゆゑやは」と、ただ腹立ちに腹立てば、聞く人ども、え心得ざりけり。 「さても、いかなることをせられて、かくは言ふぞ」と問へば、「聞き給へよ。申さん。かやうのことは、誰も同じ心に、守殿にも申し給へ。さて、君たちの名だてにもあり」と言ひて、ありのままのことを語りければ、「さてさて」と言ひて、笑ふ者もあり、憎がる者も多かり。女をば、みないとほしがり、やさしがりけり。 これを為家聞きて、前に呼びて問ひければ、「わが愁へなりにたり」と悦びて、ことごとしく伸び上がりて言ひければ、よく聞きて後、その男(をのこ)をば追ひ出だしてけり。女をば、いとほしがりて、物取らせなどしけり。 心から身を失なひける男なりとぞ。 ===== 翻刻 ===== 今は昔播磨守為家といふ人ありそれか内にさせる事/101オy205 もなき侍ありあさなさたとなんいひけるを例の名をはよはすして 主も傍輩もたたさたとのみよひけるさしたる事はなけれとも まめにつかはれて年比になりにけれはあやしの郡のすなうなと せさせけれは喜てその郡に行て郡司のもとにやとりにけりなす へき物の沙汰なといひさたして四五日はかりありてのほりぬこの 郡司かもとに京よりうかれて人にすかされてきたりける女房 のありけるをいとおしかりて養をきて物ぬはせなとつかひけれ はさやうの事なとも心えてしけれはあはれなるものにおもひてをき たりけるを此さたに従者かいうやう郡司か家に京の女房 といふ物のかたちよく髪なかきかさふらふをかくしすへて 殿にもしらせたてまつらてをきてさふらふそと語けれはねたき 事かなわ男かしこにありし時はいはてここにてかくいふはにくき 事也といひけれは其おはしまししかたはらにきりかけの侍しをへたてて/101ウy206 それかあなたにさふらひしかはしらせ給たるらんとこそおもひ 給へしかといへはこのたひはしはしいかしと思つるをいとま申て とく行てその女房かなしうせんといひけりさて二三日斗あり て為家にさたすへき事とものさふらひしをさたしさして まいりて候し也いとま給はりてまからんといひけれは事をさたしさ してはなにせんにのほりけるそとくいけかしといひけれは喜て 下たりけり行つきけるままにとかくの事もいはすもとより 見なれなとしたらんにてたにうとからん程はさやはあるへき従者 なとにせんやうに着たりける水干のあやしけなりけるかほ ころひたえたるを切かけのうへよりなけこしてたかやかに これかほころひぬいておこせよといひけれは程もなくなけ返 したりけれは物ぬはせ事さすときくかけにとくぬいてをこせ たる女人かなとあららかなる声してほめてとりてみるにほころ/102オy207 ひをはぬはてみちのくに紙の文をそのほころひのもとにむす ひつけてなけ返たるなりけりあやしと思てひろけて見 れはかくかきたり われか身は竹の林にあらねともさたかころもをぬきかくる哉 とかきたるをみてあはれなりと思しらん事こそなからめみるままに 大に腹をたてて目つふれたる女人かなほころひぬいにやりたれは ほころひのたえたる所をはみたにえ見つけすしてさたのとこそ いふへきにかけまくもかしこき守殿たにもまたこそここらの年 月比またしかめさねなそわ女めさたかといふへき事かこの 女人に物ならはさんといひてよにあさましき所をさへなにせんか せんとのりのろひけれは女房は物もおほえすしてなきけり腹たち ちらして郡司をさへのりていてこれ申て事にあはせんといひけれは 郡司もよしなき人をあはれみてをきてそのとくにははては勘当かふ/102ウy208 るにこそあなれといひけれはかたかた女おそろしうわひしく思け りかく腹立しかりて帰のほりてさふらひにてやすからぬ事 こそあれ物もおほえぬくさり女にかなしういはれたるかうの殿たに さたとこそめせ此女めさたかといふへきゆへやはとたた腹たちに腹 たてはきく人ともえ心えさりけりさてもいかなる事をせられて かくはいふそととへはきき給へよ申さんかやうの事は誰もおなし 心に守殿にも申給へさてきみたちの名たてにもありといひ てありのままの事をかたりけれはさてさてといひてわらふ物もあり にくかる物もおほかり女をはみないとおしかりやさしかりけり此 を為家ききて前によひて問けれは我うれへなりにたりと 悦てことことしくのひあかりていひけれはよくききて後そのおの こをは追出してけり女をはいとおしかりて物とらせなとしけり 心から身をうしなひけるおのこなりとそ/103オy209