宇治拾遺物語 ====== 第92話(巻7・第1話)五色の鹿の事 ====== **五色鹿事** **五色の鹿の事** ===== 校訂本文 ===== これも昔、天竺に、身の色は五色にて、角の色は白き鹿(かせぎ)、一つありけり。深き山にのみ住みて、人に知られず。その山のほとりに大きなる川あり。その山に、また、烏あり。この鹿を友として過ぐす。 ある時、この川に、男一人流れて、すでに死んとす。「われを人助けよ」と叫ぶに、この鹿、この叫ぶ声を聞きて、悲しみに耐へずして、川を泳ぎ寄りて、この男を助けてけり。 男、命の生きぬることを悦びて、手をすりて、鹿に向ひていはく、「何ごとをもちてか、この恩を報ひ奉るべき」と言ふ。鹿のいはく、「何ごとをもちてか、恩をば報はん。ただ、この山にわれありといふことを、ゆめゆめ人に語るべからず。わが身の色、五色なり。人、知りなば、『皮を取らん』とて、必ず殺されなん。このことを恐るるによりて、かかる深山に隠れて、あへて人に知られず。しかるを、なんぢが叫ぶ声を悲しみて、身の行方(ゆくへ)を忘れて、助けつるなり」と言ふ時に、男、「これ、まことにことわりなり。さらにもらすことあるまじ」と、かへすがへす契りてさりぬ。もとの里に帰りて、月日を送れども、さらに人に語らず。 かかるほどに、国の后、夢に見給ふやう、大なる鹿あり、身は五色にて角白し。夢覚めて、大王に申し給はく、「かかる夢をなん見つる。この鹿、さだめて世にあるらん。大王、必ず尋ね捕りて、われに与へ給へ」と申し給ふに、大王、宣旨を下して、「もし、五色の鹿、尋ねて奉らん者には、金・銀・珠玉の宝、ならびに一国等を賜ぶべし」と仰せふれらるるに、この助けられたる男、内裏に参りて申すやう、「尋ねらるる色の鹿は、その国の深山にさぶらふ。あり所を知れり。狩人を賜はりて、取りて参らすべし」と申すに、大王、大きに悦び給ひて、みづから多くの狩人を具して、この男をしるべに召し具して、行幸なりぬ。 その深山に入り給ふ。この鹿、あへて知らず。洞(ほら)の内に臥せり。かの友とする烏、これを見て、大きに驚きて、声(こゑ)をあげて鳴き、耳を食ひて引くに、鹿おどろきぬ。烏、告げていはく、「国の大王、多くの狩人を具して、この山を取り巻きて、すでに殺さんとし給ふ。今は逃ぐべき方(かた)なし。いかがすべき」とみて、泣く泣く去りぬ。 鹿、驚きて、大王の御輿のもとに歩み寄るに、狩人ども、矢をはげて射んとす。大王のたまふやう、「鹿、恐るることなくして来たれり。さだめてやうあるらん。射ることなかれ」と。その時、狩人ども、矢をはづして見るに、御輿の前にひざまづきて申さく、「われ、毛の色を恐るるによりて、この山に深く隠すめり。しかるに、大王、いかにしてわが住み所をば知り給へるぞや」と申すに、大王のたまふ、「この輿のそばにある、顔に痣(あざ)のある男、告げ申したるによりて来れるなり」。鹿、見るに、顔に痣ありて、御輿の傍らに居たり。わが助けたりし男なり。 鹿、かれに向ひて言ふやう、「命を助けたりし時、この恩、何にても報じ尽しがたきよし言ひしかば、ここにわれあるよし、人にかたるべからざるよし、かへすがへす契りしところなり。しかるに、今、その恩を忘れて、殺させ奉らんとす。いかになんぢ、水に溺れて死なんとせし時、わが命をかへりみず、泳ぎ寄りて助けし時、なんぢ、かぎりなく悦びしことは覚えずや」と、深く恨みたる気色にて、涙を垂れて泣く。 その時に、大王、同じく涙を流してのたまはく、「なんぢは畜生なれども、慈悲をもて人を助く。かの男は、欲にふけりて、恩を忘れたり。畜生といふべし。恩を知るをもて、人倫とす」とて、この男を捕へて、鹿の見る前にて、首を切らせらる。 またのたまはく、「今より後、国の中に鹿を殺すことなかれ。もし、この宣旨を背きて、鹿の一頭にても殺す者あらば、すみやかに死罪に行はるべし」とて、帰り給ぬ。 その後より、天下安全に、国土豊かなりけりとぞ。 ===== 翻刻 ===== これもむかし天竺に身の色は五色にて角の色は白き鹿一 ありけり深き山にのみ住て人にしられすその山のほとりに 大なる川ありその山に又烏あり此かせきを友として過す ある時この川に男一人なかれて既死んとす我を人たすけ よとさけふに此かせきこのさけふ声をききてかなしみにたへ すして川をおよきよりて此男をたすけてけり男命の いきぬる事を悦て手をすりて鹿にむかひていはく何事を もちてかこの恩をむくひたてまつるへきといふかせきのいはく何 事をもちてか恩をはむくはんたたこの山に我ありといふ事を ゆめゆめ人にかたるへからす我身の色五色なり人しりなは皮をと らんとて必殺されなんこの事をおそるるによりてかかる深山に/99ウy202 かくれてあへて人にしられす然を汝かさけふこゑをかなしみて 身の行ゑを忘てたすけつるなりといふ時に男これ誠に ことはり也さらにもらす事あるましと返返契てさりぬもとの 里にかへりて月日を送れとも更に人にかたらすかかる程に 国の后夢にみ給やう大なるかせきあり身は五色にて角白し 夢覚て大王に申給はくかかる夢をなんみつるこのかせきさた めて世にあるらん大王かならす尋とりて我にあたへ給へと申 給に大王宣旨を下してもし五色のかせき尋てたてまつらん物 には金銀珠玉の宝並に一国等をたふへしと仰ふれらるるに 此たすけられたる男内裏に参て申やう尋らるる色のかせき はその国の深山にさふらふあり所をしれり狩人を給はりて取てま いらすへしと申に大王大に悦給てみつからおほくの狩人をくして此 男をしるへにめしくして行幸なりぬその深山に入給此かせき/100オy203 あへてしらす洞の内にふせりかの友とする烏これをみて大に おとろきてこゑをあけてなき耳をくひてひくに鹿おとろきぬ からす告て云国の大王おほくの狩人をくして此山をとりまき てすてに殺さんとし給いまは逃へき方なしいかかすへきとみて なくなくさりぬかせきおとろきて大王の御輿のもとに歩よるに 狩人ともやをはけて射んとす大王の給やうかせきおそるる事 なくしてきたれりさためてやうあるらん射事なかれとその時狩人 とも矢をはつして見るに御輿の前にひさまつきて申さく 我毛の色をおそるるによりて此山にふかく隠すめりしかるに 大王いかにして我住所をはしり給へるそやと申に大王の給此輿の そはにある顔にあさのある男告申たるによりて来れる也 かせきみるにかほにあさありて御輿傍にゐたり我たすけたりし 男なりかせきかれに向ていふやう命を助たりし時此恩何にても/100ウy204 報しつくしかたきよしいひしかはここに我あるよし人に かたるへからさるよし返返契し処也然に今其恩を忘て 殺させ奉らんとすいかに汝水におほれて死なんとせし時我 命を顧すをよきよりて助し時汝かきりなく悦し事はおほ えすやとふかく恨たる気色にて泪をたれてなく其時に大王 同しく泪をなかしてのたまはく汝は畜生なれとも慈悲をもて 人をたすく彼男は欲にふけりて恩を忘たり畜生といふへし 恩をしるをもて人倫とすとて此男をとらへて鹿のみる前 にてくひをきらせらる又のたまはく今より後国の中にかせきを 殺事なかれもし此宣旨をそむきて鹿の一頭にても殺す物 あらは速に死罪に行はるへしとて帰給ぬ其後より天下安 全に国土ゆたかなりけりとそ/101オy205