宇治拾遺物語 ====== 第86話(巻6・第4話)清水寺に二千度参詣の者、双六に打入る事 ====== **清水寺ニ二千度参詣者打入双六事** **清水寺に二千度参詣の者、双六に打入る事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、人のもとに宮仕へしてある、なま侍ありけり。することのなきままに、清水((清水寺))へ人真似して、千度詣を二たびしたりけり。 その後、いくばくもなくして、主(しう)のもとにありける同じやうなる侍と、双六を打ちけるが、多く負けて、渡すべきものなかりけるに、いたく責めければ、思ひわびて、「われ、持ちたる物なし。ただ今貯へたる物とては、清水に二千度参りたることのみなんある。それを渡さん」と言ひければ、傍らにて聞く人は、「謀(はか)るなり」と、をこに思ひて笑ひけるを、この勝ちたる侍、「いとよきことなり。渡さば得ん」と言ひて、「いな、かくては受け取らじ。三日して、このよし申して、おのれ渡すよしの文書きて渡さばこそ、受け取らめ」と言ひければ、「よきことなり」と契りて、その日より精進して、三日といひける日、「さは、清水へ」と言ひければ、この負け侍、「このしれ者に会ひたる」と、をかしく思ひて、悦びて、つれて参りにけり。 言ふままに文書きて、御前にて、師の僧呼びて、ことのよし申させて、「二千度参りつること、それがしに、双六に打ち入れつ」と書きて、取らせければ、受け取りつつ悦びて、伏し拝みて、まかり出でにけり。 その後(のち)、いくほどなくして、この負け侍、思ひかけぬことにて捕(とら)へられて、獄に居にけり。取りたる侍は、思ひがけぬたよりある妻まうけて、いとよく徳つきて、司(つかさ)などなりて、たのしくてぞありける。 「目に見えぬものなれど、まことの心をいたして請け取りければ、仏、『あはれ』と思し召したりけるなんめり」とぞ、人は言ひける。 ===== 翻刻 ===== 今はむかし人のもとに宮つかへしてあるなま侍有けりする 事のなきままに清水へ人まねして千度詣を二たひしたり けり其後いくはくもなくしてしうのもとに有ける同し様なる侍と 双六をうちけるかおほくまけてわたすへき物なかりけるにいたくせめ けれは思わひて我持たる物なし只今たくはへたる物とては清水に二 千度まいりたる事のみなんあるそれをわたさんといひけれはかた はらにてきく人ははかる也とおこに思て笑けるを此勝たる侍いと よき事也わたさはえんといひていなかくてはうけとらし三日し て此よし申ておのれわたすよしの文かきてわたさはこそうけ とらめといひけれはよき事なりと契て其日より精進して 三日といひける日さは清水へといひけれは此まけ侍此しれ/89ウy182 物にあひたるとおかしく思て悦てつれてまいりにけりいふまま に文かきて御前にて師の僧よひて事のよし申させて二千 度まいりつる事それかしに双六に打いれつとかきてとらせけれは うけとりつつ悦てふしおかみてまかり出にけりそののち いく程なくして此まけ侍思かけぬ事にてとらへられて獄に 居にけりとりたる侍は思かけぬたよりある妻まうけていと よく徳つきてつかさなと成てたのしくてそありける目に みえぬ物なれと誠の心をいたして請とりけれは仏あはれとお ほしめしたりけるなんめりとそ人はいひける/90オy183