宇治拾遺物語 ====== 第77話(巻5・第8話)実子に非ざる人、実子の由たる事 ====== **実子ニ非サル人実子ノ由シタル事** **実子に非ざる人、実子の由たる事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、その人の、一定(いちぢやう)、子とも聞こえぬ人ありけり。世の人は、そのよしを知りて、をこがましく思ひけり。 その父(てて)と聞こゆる人、失せにける後、その人のもとに、年ごろありける侍の、妻に具して田舎へ往(い)にけり。その妻(め)、失せにければ、すべきやうもなくなりて、京へ上りにけり。よろづ、あるべきやうもなくて、頼りなかりけるに、「この子といふ人こそ、一定のよし言ひて、親の家に居たなれ」と聞きて、この侍、参りたりけり。 「故殿(ことの)に年ごろさぶらひし、なにがしと申す者こそ、まいりて候へ。御見参に入りたがり候ふ」と言へば、この子、「さる事ありと思ゆ。しばし、さぶらへ。御対面あらんずるぞ」と言ひ出だしたりければ、侍、「しおほせつ」と思ひて、眠(ねぶ)り居たるほどに、近う召し使ふ侍、出できて、「御出居(おんでい)へ参らせ給へ」と言ひければ、悦びて、参りにけり。 この召し次ぎしつる侍、「しばし候はせ給へ」と言ひて、あなたへ行きぬ。見回せば、御出居のさま、故殿のおはしましししつらひに、つゆ変らず。「御障子(みさうじ)などは、少し古(ふ)りたるほどにや」と見るほどに、中の障子を引き開くれば、きと見上げたるに、この子と名乗る人、歩(あゆ)み出でたり。これをうち見るままに、この年ごろの侍、さくりもよよに泣く。袖も絞りあへぬほどなり。 この主(あるじ)、「いかにかくは泣くならん」と思ひて、ついゐて、「とは、などかく泣くぞ」と問ひければ、「故殿のおはしまししに、たがはせおはしまさぬが、あはれに思えて」と言ふ。「さればこそ、われも故殿には、たがはぬやうに思ゆるを、この人々の、『あらぬ』など言ふなる、あさましきこと」と思ひて、この泣く侍に言ふやう、「おのれこそ、ことのほかに老いにけれ。世の中は、いかやうにて過ぐるぞ。われはまだ幼くて、母のもとにこそありしかば、故殿のありやう、よくも覚えぬなり。おのれをこそ、故殿と憑(たの)みてあるべかりけれ。何事も申せ。また、ひとへに頼みてあらんずるぞ。まづ、当時、寒(さむ)げなり。この衣(きぬ)着よ」とて、綿ふくよかなる衣一つ、脱ぎて賜びて、「いまはさうなし。これへ参るべきなり」と言ふ。この侍、しおほせて居たり。 昨日・今日の者のかく言はんだにあり。いはんや、故殿の年ごろの者のかく言へば、家主、笑みて、「この男(をのこ)の、年ごろ、ずちなくてありけん、不便のことなり」とて、後見(うしろみ)召し出でて、「これは、故殿のいとほしくし給ひし者なり。まづ、かく京に旅立ちたるにこそ。思ひはからひて、沙汰(さた)しやれ」と言へば、ひげなる声にて、「む」といらへて立ちぬ。この侍は、「そらごとせじ」といふことをぞ、仏に申しきりてける。 さて、この主(あるじ)、われを不定げに言ふなる人々呼びて、「この侍に、ことの次第、言はせて聞かせん」とて、後見召し出でて、「明後日(あさて)、これへ人々渡らんと言はるるに、さるやうに引きつくろひて、もてなし、すさまじからぬやうにせよ」と言ひければ、「む」と申して、さまざまに沙汰しまうけたり。 この得意の人々、四・五人ばかり来集まりにけり。主(あるじ)、常よりもひきつくろひて、出で合ひて、御酒、たびたび参りて後、言ふやう、「わが親のもとに、年ごろ生ひたちたる者候ふをや、御覧ずべからん」と言へば、この集まりたる人々、心地よげに顔さき赤めあひて、「もとも召し出ださるべく候ふ。故殿に似けるも、かつあはれに候ふ」と言へば、「人やある。なにがし参れ」と言へば、一人立ちて召すなり。見れば、鬢はげたり。男(をのこ)の六十余ばかりなるが、まみのほどなど、そらごとすべうもなきが、打ちたる白き狩衣に、練色(ねりいろ)の衣きぬのさるほどなる着たり。これは賜はりたる衣と思ゆ。召し出だされて、ことうるはしく、扇を笏にとりて、うづくまり居たり。 家主の言ふやう「やや、ここの父(てて)のそのかみより、おのれは老いたちたる者ぞかし」など言へば、「む」と言ふ。「見えにたるか。いかに」と言へば、この侍、言ふやう、「そのことに候ふ。故殿には十三より参りて候ふ。五十まで、夜昼(よるひる)離れ参らせ候はず。故殿の『小冠者、小冠者』と召し候ひき。無下に候ひし時も、御あとに臥せさせおはしまして、夜中、暁、大つぼ参らせなどし候ひし。その時は、わびしう、たへがたく思え候ひしが、おくれ参らせて後は、など、さ思え候ひけんと、くやしう候(さぶら)ふなり」と言ふ。 主の言ふやう、「そもそも、一日(ひとひ)、なんぢを呼び入れたりし折、われ、障子を引き開けて出でたりし折、うち見上げて、ほろほろと泣きしは、いかなりしことぞ」と言ふ。その時、侍が言ふやう、「それも別のことに候(さぶら)はず。田舎に候(さぶら)ひて、『故殿失せ給ひにき』と承はりて、『今一度参りて、心ありさまをだにも、拝み候はん』と思ひて、恐れ恐れ参り候ひし。さうなく御出居へ召し入れさせおはしまして候ひし。おほかた、かたじけなく候ひしに、御障子を引き開けさせ給ひ候ひしを、きと見上げ参らせて候ひしに、御烏帽子(ゑぼうし)の真黒(まくろ)にて、まづさし出でさせおはしまして候ひしが、故殿のかくのごとく出でさせおはしましたりしも、御烏帽子は真黒に見えさせおはしまし候ふが、思ひ出でられおはしまして、思えず、涙のこぼれ候ひしなり」と言ふに、この集まりたる人々も、笑みを含みたり。 また、この主も、気色変りて、「さてまた、いづくか故殿には似たる」と言ひければ、この侍、「そのほかは、おほかた似させおはしましたる所、おはしまさず」と言ひければ、人々ほお笑みて、一人、二人づつこそ逃げ失せにけれ。 ===== 翻刻 ===== これも今は昔その人の一定子ともきこえぬ人有けり世の人 はそのよしをしりておこかましく思けりそのててときこゆ る人失にける後その人のもとに年比ありける侍の妻にく して田舎へいにけりそのめうせにけれはすへきやうもなく成 て京へのほりにけりよろつあるへきやうもなくてたよりなかり けるに此子といふ人こそ一定のよしいひて親の家にゐたなれ とききてこの侍まいりたりけり故殿に年ころさふらひし なにかしと申ものこそまいりて候へ御見参に入たかり候と いへはこの子さる事ありとおほゆしはしさふらへ御対面あらん するそといひ出したりけれは侍しおほせつと思てねふりゐたる/79オy161 程にちかうめしつかふ侍いてきて御ていへまいらせ給へと云け れは悦てまいりにけりこの召次しつる侍しはし候はせ給へとい ひてあなたへゆきぬ見まはせは御ていのさまことののおはしま しししつらひに露かはらすみさうしなとはすこしふりたる程に やとみるほとに中のさうしをひきあくれはきとみあけたるに この子となのる人あゆみ出たりこれをうちみるままに 此としころの侍さくりもよよになく袖もしほりあへぬほとなり このあるしいかにかくは泣ならんと思てついゐてとはなとかく なくそと問けれは故殿のおはしまししにたかはせおはしま さぬかあはれにおほえてといふされはこそ我も故殿にはた かはぬやうにおほゆるを此人々のあらぬなといふなるあさまし き事と思て此なく侍にいふやうおのれこそ事のほかに老に けれ世中はいかやうにてすくるそ我はまたおさなくて母のもとに/79ウy162 こそありしかは故殿のありやうよくも覚ぬなりをのれをこそ 故殿と憑てあるへかりけれ何事も申せ又ひとへにたのみて あらんするそまつ当時さむけなりこのきぬきよとて綿 ふくよかなるきぬ一ぬきてたひていまはさうなしこれへまいる へき也といふこの侍しおふせてゐたり昨日けふのもののかく いはんたにありいはんやことのの年ころの物のかくいへは家主 えみて此おのこの年来すちなくてありけん不便の事 なりとてうしろみめしいててこれは故殿のいとおしくし給し ものなりまつかく京に旅たちたるにこそ思はからひてさたしやれ といへはひけなるこゑにてむといらへて立ぬこの侍はそらことせし といふ事をそ仏に申きりてけるさてこのあるし我を不定 けにいふなる人々よひてこの侍に事の次第いはせてきかせん とてうしろみめしいててあさてこれへ人々わたらんといはるるに/80オy163 さるやうに引つくろひてもてなしすさましからぬやうにせよと いひけれはむと申てさまさまにさたしまうけたり此とくいの人々 四五人はかりきあつまりにけりあるしつねよりもひきつく ろひて出合て御酒たひたひまいりて後いふやう我おやのもと に年比おいたちたる物候をや御らんすへからんといへは此あつまり たる人々心ちよけにかほさきあかめあひてもともめしいた さるへく候故殿に似けるもかつあはれに候といへは人やあるなに かしまいれといへはひとりたちてめすなりみれは鬢はけたり おのこの六十余斗なるかまみの程なとそらことすへうもなき かうちたるしろきかりきぬにねり色のきぬのさるほとなるきたり これは給はりたる衣とおほゆめしいたされて事うるはしく 扇を笏にとりてうすくまりゐたり家主のいふやうややここの ててのそのかみよりおのれは老たちたる物そかしなといへはむと/80ウy164 いふみえにたるかいかにといへは此侍いふやうその事に候故殿には 十三よりまいりて候五十まてよるひるはなれまいらせ候はす こ殿の小冠者小冠者とめし候き無下に候し時も御あとにふ せさせおはしまして夜中暁大つほまいらせなとし候しその 時はわひしうたへかたくおほえ候しかをくれまいらせて後 はなとさおほえ候けんとくやしうさふらふなりといふあるしの いふやう抑ひとひ汝をよひ入たりしおり我障子を引あけて 出たりしおりうちみあけてほろほろと泣しはいかなりし事そ といふその時侍かいふやうそれも別の事にさふらはすゐ中にさふ らひて故殿うせ給にきとうけ給ていま一とまいりて心あり さまをたにもおかみ候はんと思て恐恐まいり候しさうなく御 ていへめし入させおはしまして候し大方かたしけなく候しに御障 子を引あけさせ給候しをきと見あけまいらせて候しに御ゑほう/81オy165 しのまくろにてまつさしいてさせおはしまして候しか故殿のかくの ことく出させおはしましたりしも御烏帽子はまくろにみえ させおはしまし候か思いてられおはしましておほえす涙の こほれさふらひしなりといふに此あつまりたる人々もえみをふく みたり又此あるしも気色かはりてさて又いつくか故殿には 似たるといひけれは此侍そのほかは大かた似させおはしまし たる所おはしまさすといひけれは人々ほをえみてひとり ふたりつつこそ逃失にけれ/81ウy166