宇治拾遺物語 ====== 第75話(巻5・第6話)陪従清仲の事 ====== **陪従清仲事** **陪従清仲の事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、二条の大宮((令子内親王))と申しけるは、白河院の宮((白河天皇))、鳥羽院((鳥羽天皇))の御母代(しろ)におはしましける。二条の大宮とぞ申しける。二条よりは北、堀川よりは東におはしましけり。その御所、破れにければ、有賢大蔵卿((源有賢))、備後国を知られける重任の功に修理しければ、宮もほかへおはしましにけり。 それに、陪従清仲といふもの、常にさぶらひけるが、宮、おはしまさねども、なほ御車宿(くるまやどり)の妻に居て、古き物はいはじ、新しうしたる束柱(つかばしら)、立蔀(たてじとみ)などをさへ、破り焼きけり。 このことを、有賢、鳥羽院に訴(うた)へ申しければ、清仲を召して、「宮、渡らせおはしまさぬに、なほ留(とま)り居て、古き物、新しき物、こぼち焚くなるは、いかなることぞ。修理する物、訴(うた)へ申すなり。まづ、宮もおはしまさぬに、なほこもり居たるは、何ごとによりてさぶらふぞ。子細を申せ」と仰せられければ、清仲、申すやう、「別のことに候はず。焚き木につきて((「尽きて」と「付きて」の二説がある。))候ふなり」と申しければ、おほかた、これほどのこと、とかく仰せらるるに及ばず。「すみやかに追ひ出だせ」とて、笑はせおはしましけるとかや。 この清仲は、法性寺殿((藤原忠通))の御時、春日の乗尻の立ちけるに、神馬使ひ、おのおのさはりありて、事欠けたりけるに、清仲ばかり、かう勤めたりし者なれども、「事欠けにたり。あひ構へて勤めよ。せめて京ばかりをまれ、ことなきさまに、はからひ勤めよ」と仰せられけるに、「かしこまりて奉りぬ」と申して、やがて社頭に参りたりければ、返す返す感じ思し召す。 「いみじう勤めて候ふ」とて、御馬を賜びたりければ、伏しまろび悦びて、「この定(ぢやう)に候はば、定使(ぢやうづかひ)をつかまつり候はばや」と申しけるを、仰せ告ぐ者も、さぶらひあふ者どもも、笑壺(ゑつぼ)に入りて、笑ひののしりけるを、「何事ぞ」と御尋ねありければ、「しかじか」と申しけるに、「いみじう申したり」とぞ、仰せごとありける。 ===== 翻刻 ===== 是も今はむかし二条の大宮と申けるは白川院の宮鳥羽院の 御母しろにおはしましける二条の大宮とそ申ける二条よりは 北堀川よりは東におはしましけりその御所破にけれは有 賢大蔵卿備後国をしられける重任の功に修理しけれは 宮もほかへおはしましにけりそれに陪従清仲といふもの常に さふらひけるか宮おはしまさねとも猶御車宿の妻に居てふ るき物はいはしあたらしうしたるつか柱立蔀なとをさへやふり 焼けり此事を有賢鳥羽院にうたへ申けれは清仲をめして/77ウy158 宮わたらせおはしまさぬに猶とまりゐてふるき物あたらしき 物こほちたくなるはいかなる事そ修理する物うたへ申なり まつ宮もおはしまさぬに猶こもりゐたるはなに事によりて さふらふそ子細を申せと仰られけれは清仲申すやう別の事 に候はすたき木につきて候也と申けれは大かたこれ程 の事とかく仰らるるに及すすみやかに追いたせとてわら はせおはしましけるとかやこの清仲は法性寺殿の御時春日の 乗尻の立けるに神馬つかひをのをのさはりありて事闕たり けるに清仲はかりかうつとめたりし物なれとも事かけにたり 相構てつとめよせめて京斗をまれ事なきさまにはからひつ とめよと仰られけるに畏て奉ぬと申てやかて社頭にまいりた りけれは返返感しおほしめすいみしうつとめてさふらふとて御 馬をたひたりけれはふしまろひ悦てこのちやうに候はは定/78オy159 使を仕候ははやと申けるを仰つくものもさふらひあふ物ともも えつほに入て笑ののしりけるを何事そと御尋ありけれは しかしかと申しけるにいみしう申たりとそ仰事ありける/78ウy160