宇治拾遺物語 ====== 第74話(巻5・第5話)陪従家綱兄弟、互に謀たる事 ====== **陪従家綱兄弟互ニ謀タル事** **陪従家綱兄弟、互に謀たる事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、陪従はさもこそとはいひながら、これは世になきほどの猿楽なりけり。 堀川院((堀河天皇))の御時、内侍所の御神楽の夜、仰せにて、「今夜、めづらしからんこと、つかまつれ」と仰せありければ、職事、家綱((藤原家綱))を召して、このよし仰せけり。 承りて、「何事をかせまし」と案じて、弟(おとと)行綱((藤原行綱))を片隅(かたすみ)に招き寄せて、「かかること、仰せ下されたれば、わが案じたることのあるは、いかがあるべき」と言ひければ、「いかやうなることをせさせ給はんずるぞ」と言ふに、家綱が言ふやう、「庭火、白く焼けたるに、袴を高く引き上げて、細脛(ほそはぎ)を出だして、『よりによりに夜の更け、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん』と言ひて、庭火を三巡りばかり、走り巡らんと思ふ。いかがあるべき」と言ふに、行綱がいはく、「さも侍りなん。ただし、おほやけの御前にて、細脛かき出だして、『ふぐりあぶらん』など候(さぶら)はむは、便(びん)なくや候ふべからん」と言ひければ、家綱、「まことに、さ言はれたり。さらば、異事(ことごと)をこそせめ。かしこう申し合はせてけり」と言ひける。 殿上人など、仰せを承はりたれば、「今宵、いかなることをせんずらん」と、目を澄まして待つに、人長、「家綱召す」と召せば、家綱、出でて、させることなきやうにて入りぬれば、上よりも、そのこととなきやうに思し召すほどに、人長、また進みて、「行綱召す」と召す時、行綱、まことに寒げなる気色をして、膝をももまでかき上げて、細脛(ほそはぎ)を出だして、わななき、寒げなる声にて、「よりによりに夜の更けて、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」と言ひて、庭火を十回りばかり、走り廻りたりけるに、上より下ざまに至るまで、おほかた、とよみたりけり。 家綱、片隅(かたすみ)に隠れて、「きやつに、かなしう、謀(はか)られぬるこそ」とて、仲たがひて、目も見合はせずして、過ぐるほどに、家綱、思ひけるは、「謀られたるは憎けれど、さてのみやむべきにあらず」と思ひて、行綱に言ふやう、「このこと、さのみぞある。さりとて、兄弟の仲たがひ、はつべきにあらず」と言ひければ、行綱、喜びて、行きむつびけり。 賀茂の臨時祭の帰り立ちに、御神楽のあるに、行綱、家綱に言ふやう、「人長、召し立てん時、竹台のもとに寄りて、そそめかんずるに、『あれはなんする者ぞ』と、はやい給へ。その時、『竹豹(ちくへう)ぞ、竹豹へうぞ』と言ひて、豹(へう)の真似をつくさん」と言ひければ、家綱、「ことにもあらず。手の際(きは)囃(はや)さん」と事受けしつ。 さて、人長、立ち進みて、「行綱召す」と言ふ時に、行綱、やをら立ちて、竹の台のもとに寄りて、這ひ歩(あり)きて、「『あれは何するぞや』と言はば、それにつきて『竹豹(ちくへう)ぞ』と言はむ」と待つほどに、家綱、「かれは、何ぞの竹豹ぞ」と問ひければ、詮(せん)に言はんと思ふ「竹豹」を、先に言はれにければ、言ふべきことなくて、ふと逃げて、走り入りにけり。 このこと、上まで聞こし召して、なかなかゆゆしき興にてぞありけるとかや。先に行綱に謀(はか)られたりける当りとぞ、言ひける。 ===== 翻刻 ===== 是も今はむかし陪従はさもこそとはいひなからこれは世になき ほとのさるかくなりけり堀川院の御時内侍所の御かくらの 夜仰にて今夜めつらしからん事仕れと仰ありけれは職 事家綱をめして此よし仰けり承て何事をかせましと あんしておとと行綱をかたすみにまねきよせてかかる事 おほせくたされたれはわかあんしたる事のあるはいかかあるへき といひけれはいかやうなる事をせさせ給はんするそと云に 家綱かいふやう庭火しろく焼たるに袴をたかくひきあけて ほそはきをいたしてよりによりに夜のふけさりにさりにさむ/76オy155 きにふりちうふくりをありちうあふらんといひて庭火を三 めくりはかり走めくらんとおもふいかかあるへきといふに行綱 かいはくさも侍なんたたし大やけの御前にてほそはきかき いたしてふくりあふらんなとさふらはむはひんなくや候へからんと いひけれは家綱まことにさいはれたりさらはこと事をこそせめ かしこう申あはせてけりといひける殿上人なと仰を奉りた れはこよひいかなる事をせんすらんと目をすましてまつに 人長家綱めすとめせは家綱出てさせる事なきやうにて 入ぬれは上よりもそのこととなきやうにおほしめす程に人長又 すすみて行綱めすとめす時行綱誠にさむけなる気色 をしてひさをももまてかきあけてほそはきを出してわなな きさむけなるこゑにてよりによりに夜のふけてさりにさりにさむきに ふりちうふくりをありちうあふらんといひて庭火を十まはり/76ウy156 はかり走廻りたりけるに上より下さまにいたるまて大かたとよ みたりけり家綱かたすみにかくれてきやつにかなしうはかられ ぬるこそとて中たかひて目も見あはせすしてすくるほとに 家綱思けるははかられたるはにくけれとさてのみやむへきに あらすと思て行綱にいふやうこの事さのみそあるさりとて兄 弟の中たかひはつへきにあらすといひけれは行綱喜てゆ きむつひけり賀茂の臨時祭の帰たちに御神楽のあるに 行綱家綱にいふやう人長めしたてん時竹台のもとによりて そそめかんするにあれはなんする物そとはやい給へその時ちくへう そちくへうそといひてへうのまねをつくさんといひけれは家綱ことに もあらすてのきははやさんと事うけしつさて人長たちすすみて 行綱めすといふ時に行綱やをらたちて竹の台のもとにより てはいありきてあれはなにするそやといははそれにつきてちくへう/77オy157 そといはむと待程に家綱かれはなんそのちくへうそと問けれは 詮にいはんとおもふちくへうをさきにいはれにけれはいふへき事 なくてふとにけて走入にけりこの事上まてきこしめして 中々ゆゆしき興にてそ有けるとかやさきに行綱にはから れたりける当とそいひける/77ウy158