宇治拾遺物語 ====== 第62話(巻4・第10話)篤昌・忠恒等の事 ====== **篤昌忠恒等事** **篤昌・忠恒等の事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、民部大夫篤昌((藤原篤昌))といふ者ありけるを、法性寺殿((藤原忠通))の御時、蔵人所の所司に、「よしすけ」とかやいふ者ありけり。件(くだん)の篤昌を役に催しけるを「われは、かやうの役にすべきものにもあらず」とて参らざりけるを、所司、小舎人をあまた付けて、苛法に催しければ、参りにけり。 さて、「まづ、所司にもの申さむ」と呼びければ、出で会ひにけるに、この世ならず腹立ちて、「かやうの役に催し給ふは、いかなることぞ。まづ、篤昌をばいかなる者と知り給ひたるぞ。奉(うけたま)はらん」と、しきりに責めけれど、しばしはものも言はで居たりけるを、叱りて、「のたまへ。まづ、篤昌がありやうを奉はらん」と、いたう責めければ、「別のこと候はず。民部大夫五位の、鼻赤きにこそ、知り申したれ」と言ひたりければ、「をう」と言ひて、逃げにけり。 また、この所司が居たりける前を、忠恒(ただつね)といふ随身、ことやうにて、ねり通りけるを見て、「わりある随身の姿かな」と忍びやかに言ひけるを、耳とく聞きて、随身、所司が前に立ち帰りて、「『わりある』とは、いかにのたまふことぞ」ととがめければ、「われは、人のわりのありなしも、え知らぬに、ただいま武正府生((下野武正。[[uji100|100話]]・[[uji188|188話]]参照))の通られつるを、この人々『わりなき者の様体(やうだい)かな』と言ひ合はれつるに、少しも似給はねば、『さてはもし、わりのおはするか』と思ひて、申したりつるなり」と言ひたりければ、忠恒、「をう」と言ひて、逃げけり。 この所司をば「荒所司(あらしよし)」とぞ付けたりけるとか。 ===== 翻刻 ===== これもいまはむかし民部大夫篤昌といふもの有けるを法性寺殿 御時蔵人所の所司によしすけとかや云者ありけり件の篤昌を 役に催しけるを我はか様の役にすへきものにもあらすとてまいら さりけるを所司小舎人をあまた付て苛法に催しけれは参に けりさて先所司に物申さむとよひけれは出あひにけるにこの世 ならす腹立てかやうの役にもよほし給ふはいかなる事そ先 篤昌をはいかなる物としり給たるそ奉らんとしきりに責けれと しはしは物もいはてゐたりけるをしかりての給へ先篤昌かあり やうをうけ給はらんといたうせめけれは別の事候はす民部大夫 五位のはなあかきにこそしり申たれといひたりけれはをうと いひて逃にけり又此所司かゐたりけるまへをたたつねといふ 随身ことやうにてねりとほりけるをみてわりある随身のすかた かなと忍やかにいひけるを耳とく聞て随身所司かまへに立帰て/70ウy144 わりあるとはいかにのたまふ事そととかめけれは我は人のわりの ありしもえしらぬにたたいま武正府生のとほられつるをこの 人々わりなきもののやうたいかなといひあはれつるにすこしもに 給はねはさてはもしわりのおはするかとおもひて申したりつる なりといひたりけれはたたつねをうといひてにけけりこの 所司をはあら所司とそつけたりけるとか/71オy145