宇治拾遺物語 ====== 第51話(巻3・第19話)一条摂政、歌の事 ====== **一条摂政哥事** **一条摂政、歌の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、一条摂政((藤原伊尹))とは東三条殿((藤原兼家))の兄におはします。 御形(かたち)より始め、心用ゐなど、めでたく、才(ざえ)・ありさま、まことしくおはしまし、また、色めかしく、女をも多く御覧じ興ぜさせ給ひけるに、少し軽々(きやうきやう)に思えさせ給ひければ、御名を隠させ給ひて、「大蔵の丞豊蔭(とよかげ)」と名乗り、上ならぬ女のがりは、御文(おんふみ)もつかはしける。懸想(けさう)せさせ給ひ、逢はせ給ひもしけるに、みな人、さ心得て、知り参らせたり。 やむごとなく良き人の、姫君のもとへ、おはしまし初めにけり。乳母(めのと)・母などを語らひて、父には知らせさせ給はぬほどに、聞き付けて、いみじく腹立ちて、母をせため、爪弾きをして、いたくのたまひければ、「さることなし」とあらがひて、「まだしきよしの文、書きて賜べ」と、母君のわび申したりければ、   人知れず身は急げども年を経てなど越えがたき逢坂の関 とて、つかはしたりければ、父に見すれば、「さては、そらごとなりけり」と思ひて、返し、父のしける、   あづまぢに行きかふ人にあらぬ身はいつかは越えむ逢坂の関((『後撰和歌集』によると、小野好古女の作。したがって、この説話での「父」は小野好古ということになる。)) 「豊蔭((藤原伊尹を指す))見て、ほほ笑まれけんかし」と、御集((『一条摂政御集』))にあり。をかしく。 ===== 翻刻 ===== いまはむかし一条摂政とは東三条殿の兄におはします御 かたちよりはしめ心もちひなとめてたくさえありさままこと/59ウ122 しくおはしましまた色めかしく女をもおほくこらんしけうせ させ給けるにすこしきやうきやうにおほえさせ給けれは御名をか くさせ給て大蔵のせうとよかけとなのりうへならぬ女のかり は御ふみもつかはしけるけさうせさせ給あはせ給もしける に皆人さ心えてしりまいらせたりやむことなくよき人の ひめ君のもとへおはしましそめにけりめのと母なとをかたら ひて父にはしらせさせ給はぬほとにききつけていみしく 腹たちて母をせためつまはしきをしていたくのたまひけれは さることなしとあらかひてまたしきよしの文かきてたへとはは きみのわひ申たりけれは 人しれす身はいそけとも年をへてなと(そイ)こえかたき逢坂の関 とてつかはしたりけれは父にみすれはさてはそらことなりけりと おもひて返しちちのしける/60オy123 あつまちにゆきかふ人にあらぬ身はいつかは越む逢坂の関 とよかけみてほほえまれけんかしと御集にありおかしく/60ウy124