宇治拾遺物語 ====== 第44話(巻3・第12話)多田新発郎等の事 ====== **多田新発郎等事** **多田新発郎等の事** ===== 校訂本文 ===== これも今は昔、多田満仲((源満仲))のもとに、猛く悪しき郎等ありけり。物の命を殺すをもて、業とす。野に出で、山に入りて、鹿を狩り、鳥を捕りて、いささかの善根することなし。 ある時、出でて狩りするあひだ、馬を馳せて鹿を追ふ。矢をはげ、弓を引きて、鹿にしたがひて走らせて行く道に、寺ありけり。その前を過ぐるほどに、きと見やりたれば、内に地蔵、立ち給へり。左の手をもちて弓を取り、右の手して笠を脱ぎて、いささか帰依の心をいたして、馳せ過ぎにけり。 その後(のち)、いくばくの年を経ずして、病ひつきて、日ごろよく苦しみわづらひて、命絶えぬ。冥途に行きむかひて、炎魔の庁に召されぬ。見れば、多くの罪人、罪の軽重にしたがひて、打たせため、罪せらるること、いといみじ。われ、一生の罪業を思ひつづくるに、涙落ちてせんかたなし。 かかるほどに、一人の僧、出で来たりてのたまはく、「なんぢを助けんと思ふなり。はやく故郷に帰りて、罪を懺悔すべし」とのたまふ。僧に問ひ奉りていはく、「これは誰(たれ)の人の、かくは仰せらるるぞ」と。僧、答へ給はく、「われは、なんぢ、鹿を追ひて、寺の前を過ぎしに、寺の中にありて、なんぢに見えし地蔵菩薩なり。なんぢ、罪業深重なりといへども、いささかわれに帰依の心をおこしし業によりて、われ、今、なんぢを助けんとするなり」とのたまふ、と思ひて蘇りて後は、殺生を長く断ちて、地蔵菩薩につかうまつりけり。 ===== 翻刻 ===== 是も今は昔多田満仲のもとにたけくあしき郎等有けり物の 命をころすをもて業とす野に出山に入て鹿をかり鳥をとり ていささかの善根する事なしある時いてて狩するあひた馬を馳て 鹿ををふ矢をはけ弓を引て鹿にしたかひてはしらせてゆく道に/49ウy102 寺ありけりそのまへをすくる程にきと見やりたれは内に地蔵たち 給へり左の手をもちて弓をとり右の手して笠をぬきていささか帰 依の心をいたしてはせ過にけりそののちいくはくの年をへすして病 つきて日比よくくるしみわつらひて命たえぬ冥途に行むかひて炎 魔の庁にめされぬみれはおほくの罪人罪の軽重にしたかひて打 せため罪せらるる事いといみし我一生の罪業を思つつくるに涙おちて せんかたなしかかる程に一人の僧出きたりてのたまはく汝をたすけん とおもふ也はやく故郷に帰て罪を懺悔すへしとの給ふ僧にとひたて まつりていはくこれはたれの人のかくは仰らるるそと僧こたへ給はく 我は汝鹿を追て寺の前を過しに寺の中にありて汝に みえし地蔵菩薩也なんち罪業深重なりといへともいささか我に 帰依の心をおこしし業によりて我今汝を助けんとする也との 給と思てよみかへりて後は殺生をなかくたちて地蔵菩薩に/50オy103 つかうまつりけり/50ウy104