宇治拾遺物語 ====== 第33話(巻3・第1話)大太郎盗人の事 ====== **大太郎盗人事** **大太郎盗人の事** ===== 校訂本文 ===== 昔、大太郎とて、いみじき盗人の大将軍ありけり。それが京へ上りて、「物取りぬべき所あらば、入りて物取らん」と思ひて、うかがひ歩(あり)きけるほどに、めぐりもあばれ、門なども、かたかたは倒(たう)れたる、横ざまによせかけたる所の、あだげなるに、男といふものは一人も見えずして、女の限りにて、張り物多く取り散らしてあるにあはせて、八丈売る物など、あまた呼び入れて、衣(きぬ)多く取り出でて、選(え)り代へさせつつ、物どもを買へば、「物多かりける所かな」と思ひて、立ち止まりて見入れば、おりしも風の南の簾(すだれ)を吹き上げたるに、簾の内に、何の入りたりとは見えねども、皮子のいと高くうち積まれたる前に、蓋開きて、絹なめりと見ゆる物、取り散らしてあり。 これを見て、「嬉しきわざかな。天道(てんたう)の、われに物を賜ぶなりけり」と思ひて、走り帰りて、八丈一疋、人に借りて持て来て、「売る」とて、近く寄りて見れば、内にも外にも、男といふものは一人もなし。ただ、女どもの限りして、見れば、皮子も多かり。物は見えねど、うづ高く蓋覆はれ、絹などもことのほかにあり。布うち散らしなどして、「いみじく物多くありげなる所かな」と見ゆ。 高く言ひて、八丈をば売らで、持ちて帰りて、ぬしに取らせて、同類どもに、「かかる所こそあれ」と言ひまはして、その夜来て、門に入らんとするに、たぎり湯を面(おもて)にかくるやうに思えて、ふつとえ入らず。「こはいかなることぞ」とて、集まりて入らんとすれど、せめてものの恐しかりければ、「あるやうあらん。今宵は入らじ」とて、帰りにけり。 つとめて、「さても、いかなりつることぞ」とて、同類など具して、売る物など持たせて、来て見るに、いかにも、わづらはしきことなし。物多くあるを、女どもの限りして、取り出で、取り納めすれば、「ことにもあらず」と、返す返す思ひ見ふせて、また暮るれば、よくよくしたためて入らんとするに、なほ恐しく思えて、え入らず。「わぬし、まづ入れ」「わぬし、まづ入れ」と言ひだちて、今宵もなほ入らずなりぬ。 また、つとめても、同じやうに見ゆるに、なほ気色けなるものも見えず。「ただ、われが臆病にて思ゆるなめり」とて、また、その夜、よくしたためて行き向ひて立てるに、日ごろよりも、なほもの恐しかりければ、「こは、いかなることぞ」と言ひて、帰りて言ふやうは、「事を起したらん人こそは、まづ入らめ。まづ、大太郎が入るべき」と言ひければ、「さも言はれたり」とて、身をなきになして入りぬ。それにとりつきて、かたへも入りぬ。 入りたれども、なほ、ものの恐しければ、やはら歩み寄りて見れば、あばらなる屋の内に、火灯したり。母屋のきはにかけたる簾をば下して、簾の外に火をば灯したり。まことに皮子多かり。かの簾の中の、恐しく思ゆるにあはせて、簾の内に、矢を爪(つま)よる音のするが、その矢の来て、身に立つ心地して、いふばかりなく恐しく思えて、帰り出づるも、背をそらしたるやうに思えて、かまへて出で得て、汗をのごひて、「こは、いかなることぞ。あさましく恐しかりつる、爪よりの音かな」と言ひあはせて、帰りぬ。 そのつとめて、その家の傍らに、大太郎が知りたりける者のありける家に行きたれば、見付けて、いみじく饗応(きやうよう)して、「いつ上り給へるぞ。おぼつかなく侍りつる」など言へば、「ただ今、詣で来つるままに、詣で来たるなり」といへば、「土器(かはらけ)参らせん」とて、酒沸かして、黒き土器の大なるを盃にして、土器取りて、大太郎にさして、家あるじ飲みて、土器渡しつ。 大太郎、取りて、酒を一土器受けて、持ちながら、「この北には、誰(た)が居給へるぞ」と言へば、驚きたる気色にて、「まだ知らぬか。大矢のすけたけのぶの、このごろ上りて居られたるなり」と言ふに、「さは、入りたらましかば、みな数を尽して射殺されなまし」と思ひけるに、ものも思えず、憶して、その受けたる酒を、家あるじに頭よりうちかけて、立ち走りける。物はうつぶしに倒(たう)れにけり。 家あるじ、「あさまし」と思ひて、「こはいかに、こはいかに」と言ひけれど、返り見だにもせずして、逃げて去にけり。 大太郎が捕られて、武者(むさ)の城の恐しきよしを語りけるなり。 ===== 翻刻 ===== 昔大太郎とていみしき盗人の大将軍ありけりそれか京へのほりて 物とりぬへき所あらは入て物とらんと思てうかかひありきけるほとに めくりもあはれ門なともかたかたはたうれたるよこ様によせかけたる所のあた けなるに男といふものは一人もみえすして女のかきりにてはり物多とり/41ウy86 ちらしてあるにあはせて八丈うる物なとあまたよひ入てきぬおほくとり いててえりかへさせつつ物ともをかへは物おほかりける所かなと思てたち とまりてみ入れはおりしも南の風の簾を吹きあけたるにすたれのうちにな にの入たりとはみえねとも皮子のいとたかくうちつまれたるまへにふたあき て絹なめりとみゆる物とりちらしてありこれをみてうれしきわさかな天 たうの我に物をたふなりけりと思て走帰りて八丈一疋人にかりてもて きてうるとてちかくよりてみれは内にも外にも男といふものは一人もなし たた女とものかきりしてみれは皮子もおほかり物はみえねとうつたかくふた おほはれきぬなともことのほかにあり布うち散しなとしていみしく物おほ くありけなる所哉とみゆたかくいひて八丈をはうらてもちて帰てぬしに とらせて同類ともにかかる所こそあれといひまはしてその夜きて門に いらんとするにたきり湯をおもてにかくるやうにおほえてふつとえいらす こはいかなる事そとてあつまりていらんとすれとせめて物のおそろしかりけれは/42オy87 あるやうあらんこよひはいらしとて帰にけりつとめてさてもいかなりつる 事そとて同類なとくしてうる物なともたせてきてみるにいかにもわつら はしき事なし物おほくあるを女とものかきりしてとりいてとりおさめす れはことにもあらすと返返思みふせて又くるれはよくよくしたためていらんと するに猶おそろしく覚てえいらすわぬしまついれまついれといひたちて こよひも猶いらすなりぬ又つとめてもおなしやうにみゆるになをけしき けなる物も見えすたたわれかおく病にておほゆるなめりとて又其夜よくしたためて 行向てたてるに日比よりも猶物おそろしかりけれはこはいかなる事そといひ てかへりていふやうは事をおこしたらん人こそは先いらめ先大太郎か入へき といひけれはさもいはれたりとて身をなきになして入ぬそれにとりつきて かたへも入ぬいりたれとも猶物のおそろしけれはやはらあゆみよりてみれはあ はらなる屋のうちに火ともしたり母屋のきはにかけたる簾をはおろして 簾の外に火をはともしたりまことに皮子おほかりかの簾の中のおそろ/42ウy88 しくおほゆるにあはせて簾の内に矢を爪よる音のするかその矢の きて身にたつ心ちしていふはかりなくおそろしくおほえて帰いつるもせをそ らしたるやうにおほえてかまへていてえてあせをのこひてこはいかなる事 そあさましくおそろしかりつるつまよりの音哉といひあはせて帰ぬその つとめてその家のかたはらに大たらうかしりたりけるものの有ける家に 行たれはみつけていみしくきやうようしていつのほり給へるそおほつかな く侍りつるなといへはたた今まうてきつるままにまうてきたる也といへは かはらけまいらせんとて酒わかしてくろきかはらけの大なるを盃にしてかはらけ とりて大太郎にさして家あるしのみてかはらけわたしつ大太らうとりて酒 を一かはらけうけてもちなからこの北にはたかゐ給へるそといへはおとろき たる気色にてまたしらぬかおほ矢のすけたけのふの此比のほりてゐられたる也 といふにさは入たらましかはみな数をつくして射ころされなましと思けるに 物もおほえす憶してそのうけたる酒を家あるしに頭よりうちかけて立/43オy89 はしりける物はうつふしにたをれにけりいへあるしあさましと思てこはいかに こはいかにといひけれとかへりみたにもせすして逃ていにけり大太郎かとら れてむさの城のおそろしきよしをかたりける也/43ウy90