宇治拾遺物語 ====== 第31話(巻2・第13話)成村、強力の学士に逢ふ事 ====== **ナリムラ強力ノ学士ニ逢事** **成村、強力の学士に逢ふ事** ===== 校訂本文 ===== 昔、成村((真髪成村))といふ相撲(すまひ)ありけり。 時に国々の相撲ども、上(のぼ)り集まりて、相撲の節待ちけるほど、朱雀門に集まりて涼みけるが、その辺遊び行くに、大学((大学寮))の東門を過ぎて、南ざまに行かんとしけるを、大学の衆どもも、あまた東門に出でて、涼み立てりけるに、この相撲どもの過ぐるを、「通さじ」とて、「鳴り制せん。鳴り高し」と言ひて、立ちふたがりて、通さざりければ、さすがに、やごつなき所の衆どものすることなれば、破りてもえ通らぬに、たけひきらかなる衆の、冠・上の衣(きぬ)、こと人よりは少しよろしきが、中にすぐれて出で立ちて、いたく制するがありけるを、成村は見つめてけり。「いざいざ、帰りなん」とて、もとの朱雀門に帰りぬ。 そこにていはく、「この大学の衆、憎き奴(やつ)どもかな。何の心に、われらをば通さじとはするぞ。ただ通らんと思ひつれども、さもあれ、『今日は通らで、明日通らん』と思ふなり。たけひきやかにて、中にすぐれて『鳴り制せん』と言ひて、通さじと立ちふたがる男、憎き奴なり。明日通らんにも、必ず今日のやうにせんずらん。何ぬし、その男の尻鼻、血あゆばかり、必ず蹴給へ」と言へば、さ言はるる相撲、脇をかきて、「おのれが蹴てんには、いかにも生かじものを。嗷議(がうぎ)にてこそ行かめ」と言ひけり。この、「尻けよ」と言はるる相撲は、おぼえある力、こと人よりはすぐれ、走りとくなどありけるを見て、成村も言ふなりけり。さて、その日は、おのおの家々に帰りぬ。 またの日になりて、昨日参らざりし相撲など、あまた召し集めて、人がちになりて、通らんとかまふるを、大学の衆も、さや心得にけん、昨日よりは人多くなりて、かしましう、「鳴り制せん」と言ひたてりけるに、この相撲ども、うち群れて、歩(あゆ)みかかりたり。 昨日、すぐれて制せし大学の衆、例のことなれば、すぐれて大路中に立ちて、「過ぐさじ」と思ふ気色したり。成村、「尻蹴よ」と言ひつる相撲に、目をくばせければ、この相撲、人よりたけ高く、大きに若く、勇みたる男(をのこ)にて、くくり高やかにかき上げて、さし進み歩み寄る。それに続きて、ことすまひも、ただ通りに通らんとするを、かの衆どもも、通さじとするほどに、尻蹴んとする相撲、かく言ふ衆に走りかかりて、「蹴倒さん」と足をいたくもたげたるを、この衆は目をかけて、背をたわめてちがひければ、蹴外して、足の高く上(あが)りて、のけざまになるやうにしたる足を、大学の衆、取りてけり。 その相撲を、細き杖などを人の持ちたるやうに引き提げて、かたへの相撲に走りかかりければ、それを見て、かたへの相撲逃げけるを、追ひかけて、その手に提げたる相撲をば投げければ、ふり抜きて、二・三段ばかり投げられて、倒(たう)れ伏しにけり。身砕けて、起き上るべくもなくなりぬ。 それをば知らず、成村がある方ざまへ走りかかりければ、成村、目をかけて逃げけり。心も置かず追ひければ、朱雀門の方ざまに走りて、脇の門より走り入るを、やがて、つめて走りかかりければ、「捕へられぬ」と思ひて、式部省の築地越えけるを、「引きとどめん」とて、手をさしやりたりけるに、はやく越えければ、こと所をばえ捕へず。片足少し下りたりける踵(きびす)を、沓くはへながら、捕へたりければ、沓の踵に足の皮を取りくはへて、沓の踵を、刀にて切りたるやうに、引き切りて取りてけり。 成村、築地の内に越え立ちて、足を見ければ、血はしりて、とどまるべくもなし。沓の踵、切れて失せにけり。「われを追ひける大学の衆、あさましく、力ある者にてありけるなめり。尻蹴つる相撲をも、人杖に突かれて、投げ砕くめり。世の中広ければ、かかる者のあるこそ、恐しきことなれ」。投げられたる相撲は、死に入りたりければ、物にかき入れて、になひて持て行きけり。 この成村、方(かた)の将(すけ)に、「しかじかのことなん候ひつる。かの大学の衆は、いみじき相撲にさぶらふめり。成村と申すとも、あふべき心地、つかまつらず」と語りければ、方の将は、宣旨申し下して、「式部の丞(ぞう)なりとも、その道に耐へたらんはといふことあれば。まして大学の衆は何条ことかあらん」とて、いみじう尋ね求められけれども、その人とも聞こえずして、やみにけり。 ===== 翻刻 ===== 昔なりむらといふ相撲ありけり時に国国の相撲とも上あつまりて 相撲節まちける程朱雀門にあつまりてすすみけるか其辺あそひ 行に大学の東門を過て南さまにゆかんとしけるを大学の衆ともも あまた東門に出てすすみたてりけるに此相撲ともの過るをとを さしとてなりせいせんなりたかしといひてたちふたかりてとをささりけれは さすかにやこつなき所の衆とものする事なれは破てもえとをらぬに たけひきらかなる衆の冠うへのきぬこと人よりは少よろしきか中にすくれ て出立ていたく制するか有けるをなりむらはみつめてけりいさいさ帰 なんとてもとの朱雀門に帰ぬそこにて云此大学の衆にくきやつともかな 何の心に我らをはとをさしとはするそたたとをらんと思つれともさもあれけ/39ウy82 ふは通らてあすとほらんと思なりたけひきやかにて中に勝てなりせい せんといひてとほさしとたちふたかる男にくきやつ也あすとほらんにもかなら すけふのやうにせんすらんなにぬしその男の尻鼻血あゆはかりかならすけたま へといへはさいはるる相撲わきをかきてをのれか蹴てんにはいかにもいかし物を 嗷議にてこそいかめといひけり此尻けよといはるる相撲はおほえある力 こと人よりはすくれ走とくなとありけるをみてなりむらもいふなりけりさて その日は各家家に帰りぬ又の日になりて昨日まいらさりし相撲なとあまためし あつめて人かちに成てとほらんとかまふるを大学の衆もさや心えにけん 昨日よりは人おほくなりてかしましうなりせいせんといひたてりけるに此相撲 ともうちむれてあゆみかかりたり昨日すくれて制せし大学の衆れいの 事なれはすくれて大路中に立てすくさしとおもふけしきしたりなりむら しりけよといひつる相撲に目をくはせけれは此相撲人よりたけたかく大 きにわかくいさみたるをのこにてくくりたかやかにかきあけてさしすすみ/40オy83 あゆみよるそれにつつきてことすまひもたたとほりにとほらんとするをか の衆とももとほさしとする程に尻けんとする相撲かくいふ衆にはしりかか りてけたをさんと足をいたくもたけたるを此衆はめをかけてせをた はめてちかひけれは蹴はつして足のたかくあかりてのけさまになるやうにしたる 足を大学の衆とりてけりそのすまひをほそき杖なとを人の持たる やうにひきさけてかたへのすまひに走かかりけれはそれをみてかたへのすまひ 逃けるを追かけてその手にさけたる相撲をはなけけれはふりぬきて二三段 斗なけられてたうれふしにけり身くたけておきあかるへくもなく成ぬそれを はしらすなりむらかあるかたさまへ走かかりけれはなりむらめをかけて逃 けり心もをかすをいけれは朱雀門の方さまに走て脇の門より走入をや かてつめて走かかりけれはとらへられぬと思て式部省の築地こえけるを 引ととめんとて手をさしやりたりけるにはやく越けれはこと所をはえとらへす かた足すこしさかりたりけるきひすを沓くはへなからとらへたりけれは沓の/40ウy84 きひすに足の皮をとりくはへて沓のきひすを刀にて切たるやうに引切 てとりてけりなりむら築地の内にこえたちて足をみけれは血はしりて ととまるへくもなし沓の踵きれてうせにけり我を追ける大学の衆あ さましく力ある物にて有けるなめり尻けつる相撲をも人杖につかれてなけ くたくめり世中ひろけれはかかる物のあるこそおそろしき事なれ投けられたる すまひは死入たりけれは物にかき入てになひてもてゆきけり此なりむらかた のすけにしかしかのことなん候つるかの大学の衆はいみしき相撲にさふらふ めりなりむらと申ともあふへき心ち仕らすとかたりけれはかたのすけは 宣旨申くたして式部のそうなりともその道にたへたらんはといふ事あ れはまして大学の衆は何条事かあらんとていみしう尋求られけれ ともその人ともきこえすしてやみにけり/41オy85