宇治拾遺物語 ====== 第28話(巻2・第10話)袴垂、保昌に合ふ事 ====== **袴垂合保昌事** **袴垂、保昌に合ふ事** ===== 校訂本文 ===== 昔、袴垂とて、いみじき盗人の大将軍ありけり。十月ばかりに、衣(きぬ)の用なりければ、「衣、少しまうけん」とて、さるべき所々、うかがひ歩(ある)きけるに、夜中ばかりに、人、みな静まり果てて後、月の朧(おぼろ)なるに、衣、あまた着たるなるぬしの、指貫のそば挟みて、絹の狩衣めきたる着て、ただ一人笛吹きて、行きもやらず、練り行けば、「あはれ。これこそ、われに衣得させんとて、出でたる人なめり」と思ひて、「走かかりて、衣を剥がん」と思ふに、あやしく、ものの恐しく思えければ、そひて、二・三町ばかり行けども、「われに人こそ付きたる」と思ひたる気色もなし。 いよいよ笛を吹きて行けば、「心みん」と思ひて、足を高くして、走寄りたるに、笛を吹きながら見返りたる気色、取りかかるべくも思えざりければ、走り退(の)きぬ。 かやうに、あまたたび、とさまかうさまにするに、つゆばかりも騒ぎたる気色なし。「希有の人かな」と思ひて、十余町ばかり具して行く。 「さりとて、あらんやは」と思ひて、刀を抜きて、走りかかりたる時に、そのたび、笛を吹きやみて、立ち帰りて、「こは何者ぞ」と問ふに、心も失せて、われにもあらで、ついゐられぬ。また、「いかなるものぞ」と問へば、「今は逃ぐとも、よも逃がさじ」と思えければ、「引剥(ひはぎ)にさぶらふ」といへば、「何者ぞ」と問へば、「字(あざな)、袴垂(はかまだれ)となん、いはれさぶらふ」と答ふれば、「さいふ者のありと聞くぞ。あやふげに希有の奴かな」と言ひて、「ともに詣で来(こ)」とばかり言ひかけて、また、同じやうに、笛吹きて行く。この人の気色、「今は逃ぐとも、よも逃がさじ」と思えければ、鬼に神(しん)取られたるやうにて、ともに行くほどに家に行き着きぬ。 「いづこぞ」と思へば、摂津前司保昌((藤原保昌))といふ人なりけり。家の内に呼び入れて、綿の厚き衣、一つを給はりて、「衣の用あらん時は、参りて申せ。心も知らざらん人に取りかかりて、なんぢ、あやまちすな」とありしこそ、あさましく、むくつけく、おそろしかりしか。 「いみじかりし人の有様なり」と、捕へられて後、語りける。 ===== 翻刻 ===== 昔はかまたれとていみしき盗人の大将軍ありけり十月斗に きぬの用なりけれは衣すこしまうけんとてさるへき所所うかかひある きけるに夜中はかりに人みなしつまりはててのち月の朧なるに きぬあまたきたるなるぬしの指貫のそははさみてきぬの狩衣め きたるきてたたひとり笛吹てゆきもやらすねり行はあはれこれ こそ我にきぬえさせんとて出たる人なめりと思て走かかりてきぬを はかんとおもふにあやしく物のおそろしくおほえけれはそひて二三町は かりいけとも我に人こそ付たると思たるけしきもなしいよいよ笛を 吹ていけは心みんと思て足をたかくして走よりたるに笛を吹なから みかへりたる気しきとりかかるへくもおほえさりけれは走のきぬかやうに あまたたひとさまかうさまにするに露はかりもさはきたるけしきなし 希有の人かなと思て十余町はかりくして行さりとてあらんやはと 思てかたなをぬきて走りかかりたる時にそのたひ笛を吹やみて立帰てこ/35ウy74 はなにものそととふに心もうせて我にもあらてついゐられぬ又いか なるものそととへは今はにくともよもにかさしと覚けれはひはきにさふ らふといへは何ものそととへはあさな袴たれとなんいはれさふらふとこたふ れはさいふものの有ときくそあやうけに希有のやつかなといひてともにまうて ことはかりいひかけて又おなしやうに笛吹て行此人のけしき今は にくともよもにかさしと覚けれは鬼に神とられたるやうにてともに行 程に家に行つきぬいつこそと思へは摂津前司保昌といふ人なり けり家のうちによひ入て綿のあつき衣一を給はりてきぬの用 あらん時はまいりて申せ心もしらさらん人にとりかかりて汝あやまち すなとありしこそあさましくむくつけくおそろしかりしかいみ しかりし人の有様也ととらへられてのちかたりける/36オy75