宇治拾遺物語 ====== 第26話(巻2・第8話)晴明、蔵人少将を封ずる事 ====== **晴明封蔵人少将事** **晴明、蔵人少将を封ずる事** ===== 校訂本文 ===== 昔、晴明((安倍晴明))、陣に参りたりけるに、前(さき)はなやかに追はせて、殿上人の参りけるを見れば、蔵人の少将とて、まだ若くはなやかなる人の、見目(みめ)まことに清げにて、車より下りて、内に参りたりけるほどに、この少将の上に烏の飛びて通りけるが、穢土(ゑど)をしかけけるを、晴明、きと見て、「あはれ世にもあひ、年なども若くて見目もよき人にこそあんめれ。式に打てけるにか。この烏は式神にこそありけれ」と思ふに、しかるべくて、この少将の生くべき報やありけん、いとほしう晴明が思えて、少将のそばへ歩み寄りて、「御前へ参らせ給ふか。さかしく申すやうなれども、何か参らせ給ふ。殿は、今夜え過ぐさせ給はじと見奉るぞ。しかるべくて、おのれには見えさせ給へるなり。いざ、させ給へ。もの心見ん」とて、一つ車に乗りければ、少将、わななきて、「あさましきことかな。さらば、助け給へ」とて、一つ車に乗りて、少将の里へ出でぬ。 申の時ばかりのことにてありければ、かく出でなどしつるほどに、日も暮れぬ。晴明、少将をつと抱(いだ)きて、身固めをし、また何ごとか、「つぶつぶ」と、夜一夜、いも寝ず、声絶えもせず、読み聞かせ加持しけり。 秋の夜の長きに、よくよくしたりければ、暁方に戸を、はたはたと叩きけるに、「あれ、人出だして聞かせ給へ」とて聞かせければ、この少将のあひ聟にて、蔵人の五位のありけるも、同じ家に、あなたこなたに据ゑたりけるが、この少将をば、「良き聟」とてかしづき、今一人をば、ことの外に思ひおとしたりければ、ねたがりて、陰陽師を語らひて、式をふせたりけるなり。 さて、その少将は死なんとしけるを、晴明が見付けて、夜一夜、祈りたりければ、そのふせける陰陽師のもとより、人の来て、高やかに、「心のまどひけるままに、よしなく守り強かかりける人の御ために、『仰せを背かじ』とて、式ふせて、すでに式神返りて、おのれ、ただ今、式に打てて死に侍りぬ。すまじかりけることをして」と言ひけるを、晴明、「これを聞かせ給へ。夜べ、見付け参らせざらましかば、かやうにこそ候はまじ」と言ひて、その使に人をそへ、やりて聞きければ、「陰陽師はやがて死にけり」とぞ言ひける。 しきふせさせける聟をば、舅(しうと)、やがて追ひ捨てけるとぞ。晴明には、泣く泣く喜びて、多くのことどもしても、飽かずぞ喜びける。 誰(たれ)とは覚えず。大納言までなり給ひけるとぞ。 ===== 翻刻 ===== むかし晴明陣にまいりたりけるにさき花やかにをはせて殿上人の まいりけるをみれは蔵人の少将とてまたわかく花やかなる人のみ めまことにきよけにて車よりおりて内にまいりたりける程にこ の少将のうへに烏の飛ひてとほりけるかゑとをしかけけるを晴明き とみてあはれ世にもあひ年なともわかくてみめもよき人にこそあん めれしきにうてけるにかこのからすはしき神にこそ有けれとおもふに 然へくて此少将のいくへき報やありけんいとおしう晴明か覚えて少将 のそはへあゆみよりて御前へまいらせ給かさかしく申やうなれともな にかまいらせたまふ殿は今夜えすくさせ給はしとみたてまつるそ然 へくてをのれにはみえさせ給へるなりいささせ給へ物心みんとてひとつ 車にのりけれは少将わななきてあさましき事哉さらはたすけ給 へとてひとつ車に乗て少将の里へいてぬ申の時斗の事にてあり/32ウy68 けれはかくいてなとしつる程に日も暮れぬ晴明少将をつといたきて みかためをし又なに事かつふつふと夜一夜いもねすこゑたえもせす 読みきかせかちしけり秋の夜の長によくよくしたりけれは暁かたに戸 をはたはたとたたきけるにあれ人出してきかせ給へとてきかせけれは この少将のあひ聟にて蔵人の五位のありけるもおなし家にあ なたこなたにすへたりけるか此少将をはよき聟とてかしつき今 ひとりをは事の外に思おとしたりけれはねたかりて陰陽師をかた らひてしきをふせたりける也さてその少将は死なんとしけるを晴明 か見付けて夜一夜祈たりけれはそのふせける陰陽師のもとより人の きてたかやかに心のまとひけるままによしなくまもりつよかりける人の御た めに仰をそむかしとてしきふせてすてにしき神かへりてをのれ たたいましきにうてて死侍りぬすましかりける事をしてといひけるを 晴明これをきかせ給へ夜部見付けまいらせさらましかはかやうにこそ候は/33オy69 ましといひてその使に人をそへやりてききけれは陰陽師はや かて死にけりとそいひけるしきふせさせける聟をはしうとやかてをい すてけるとそ晴明にはなくなく悦ひておほくの事ともしてもあかす そよろこひけるたれとはおほえす大納言まてなり給けるとそ/33ウy70