宇治拾遺物語 ====== 第18話(巻1・第18話)利仁、暑預粥の事 ====== **利仁暑預粥事** **利仁、暑預粥(いもがゆ)の事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、利仁(としひと)の将軍((藤原利仁))の若かりける時、その時の一の人の御もとに、恪勤(かくごん)して候ひけるに、正月に大饗(だいきやう)せられけるに、そのかみ、大饗果てて、取食み(とりばみ)と((「取食みと」は底本「とりはみ水」。諸本により訂正。))いふ者をば呼びて、入れずして、大饗のおろし米とて、給仕したる恪勤の者どもの食ひけるなり。 その所に、年ごろになりて、給したる者の中には、所得たる五位ありけり。そのおろし米の座にて、芋粥すすりて、舌うちをして、「あはれ、いかで芋粥に飽かん」と言ひければ、利仁、これを聞きて、「大夫殿、いまだ芋粥に飽かせ給はずや」と問ふ。五位、「いまだ飽き侍らず」と言へば、「飽かせ奉りてんかし」と言へば、「かしこく侍らん」とて、やみぬ。 さて四・五日ばかりありて、曹司住(ざうしず)みにてありける所へ、利仁来て言ふやう、「いざさせ給へ、湯あみに。大夫殿」と言へば、「いとかしこきことかな。今宵、身の痒く侍りつるに。乗り物こそは侍らね。」と言へば、「ここに、あやしの馬具して侍り」と言へば、「あなうれし、あなうれし」と言ひて、薄綿(うすわた)の衣(きぬ)二つばかりに、青鈍(あをにび)の指貫の裾破れたるに、同じ色の狩衣の、肩少し落ちたるに、下の袴も着ず、鼻高(はなたか)なるものの、先は赤みて、穴のあたり濡ればみたるは、「すす鼻をのごはぬなめり」と見ゆ。狩衣の後ろは、帯に引きゆがめられたるままに、引きもつくろはぬは、いみじう見苦し。をかしけれども、先に立てて、われも人も馬に乗りて、河原((鴨川))ざまにうち出でぬ。五位の供には、あやしの童だになし。利仁が供には、調度がけ・舎人・雑色、一人ぞありける。 河原うち過ぎて、粟田口にかかるに、「いずくへぞ」と問へば、ただ、「ここぞ、ここぞ」とて、山科も過ぎぬ。「こは、いかに。『ここぞ、ここぞ』とて、山科も過ぐしつるは」と言へば、「あしこ、あしこ」とて、関山も過ぎぬ。「ここぞ、ここぞ」とて、三井寺に知りたる僧のもとへ行きたれば、「ここに湯沸かすと思ふだにも、物ぐるほしう((物ぐるほしう」は底本「物ぐるしう」。諸本により補う。))遠かりけり」と思ふに、ここにも湯ありげにもなし。 「いづら、湯は」と言へば、「まことは敦賀へ率て奉るなり」と言へば、「物ぐるほしうおはしける。京にて、さと、のたまはましかば、下人なども具すべかりけるを」と言へば、利仁、あざ笑ひて、「利仁、独り侍らば、千人と思せ」と言ふ。かくて、物など食ひて急ぎ出でぬ。そこにてぞ、利仁、胡籙(やなぐひ)取りて負ひける。 かくて行くほどに、三津の浜に、狐の一つ、走り出でたるを見て、「良き便り出で来たり」とて、利仁、狐を押しかくれば、狐、身を投げて逃ぐれども、追ひ責められて、え逃げず。落ちかかりて、狐の尻足を取りて引き上げつ。乗りたる馬は、いとかしこしとも見えざりつれども、いみじき逸物(いちもつ)にてありければ、いくばくものばさずして、捕へたる所に、この五位、走らせて行き付きたれば、狐を引き上げて言ふやうは「わ狐、今宵の内に、利仁が家の敦賀にまかりて、言はむやうは『にはかに客人を具し奉りて下るなり。明日の巳の時に、高島辺に、男(をのこ)ども、迎へに馬に鞍置きて、二疋具してまうで来(こ)』と言へ。もし、言はぬものならば、わ狐、ただこころみよ。狐は変化あるものなれば、今日のうちに行き着きて言へ」とて放てば、「荒涼の使ひかな」と言ふ。「よし御覧ぜよ。まからでは、よにあらじ」と言ふに、はやく狐、見返し見返しして、前に走り行く。「よく、まかるめり」と言ふにあはせて、走り先き立ちて、失せぬ。 かくて、その夜は道に留りて、つとめて、とく出でて行くほどに、まことに巳時ばかりに、三十騎ばかり、こりて来る者あり。「なににかあらん」と見るに、「男(をのこ)ども、詣で来たり」と言へば、「不定のことかな」と言ふほどに、ただ近(ちか)に近くなりて、はらはらと降るるほどに「これ見よ。まことにおはしたるは」と言へば、利仁、うちほほ笑みて「何ごとぞ」と問ふ。 おとなしき郎等、進みて、「希有(けう)のことの候ひつるなり」と言ふ。「まづ、馬はありや」と言へば、「二疋さぶらふ」と言ふ。食ひ物などして来ければ、そのほどに下り居て食ふついでに、おとなしき郎等の言ふやう「夜べ、希有のことのさぶらひしなり。戌時ばかりに、台盤所(だいばんどころ)の、胸をきりにきりて病ませ給ひしかば、『いかがなることにか』とて、にはかに『僧召さん』など、騒がせ給ひしほどに、てづから仰せさぶらふやう『何(なに)か騒がせ給ふ。おのれは狐なり。別のことなし。この五日((「五日」は底本空白。諸本により補う。))、三津の浜にて、殿の下らせ給ひつるに逢ひ奉りたりつるに、逃げつれども、え逃げで((「え逃げで」は、底本「先にけて」。諸本により訂正。))、捕へられ奉りたりつるに、『今日のうちに、わが家に行き着きて、『客人、具し奉りてなん下る。明日、巳時に、馬二つにに鞍置きて、具して、男(をのこ)ども、高島の津に参り合へ』と言へ。もし、今日のうちに行き着きて言はずは、からき目、見せんずるぞ』と仰せられつるなり。をのこども、とくとく出で立ちて参れ。遅く参らば、われは勘当かうぶりなん』と、怖ぢ騒がせ給ひつれば、をのこどもに召し仰せさぶらひつれば、例ざまにならせ給にき。その後、鳥とともに参りさぶらひつるなり」と言へば、利仁、うち笑みて、五位に見合はすれば、五位「あさまし」と、思たり。 物など食ひ果てて、急ぎ立ちて、暗々(くらぐら)に行き着きぬ。「これ見よ、まことなりけり」と、あさみあひたり。 五位は馬より下りて、家のさまを見るに、にぎははしくめでたきこと、ものにも似ず。もと着たる衣(きぬ)二つが上に、利仁が宿衣を着せたれども、身の中しすきたるべければ、いみじう寒げに思ひたるに、長炭櫃(ながすびつ)に火を多うおこしたり。畳、厚らかに敷きて、果物・食ひ物しまうけて、たのしく思ゆるに、「道のほど、寒くおはしつらん」とて、練色(ねりいろ)の衣の、綿厚らかなる、三つひき重ねて持て来て、うち覆ひたるに、楽しとはおろかなり。 物食ひなどして、こと静まりたるに、舅(しうと)の有仁、出で来て言ふやう、「こはいかで、かくはわたらせ給へるぞ。これにあはせて、御使のさま、物ぐるほしうて、上(うへ)、にはかに病ませ奉り給ふ。希有のことなり」といへば、利仁、うち笑ひて「『物の心みん』と思ひてしたりつることを、まことに詣で来て、告げて侍るにこそあんなれ」と言へば、舅も笑ひて「希有のことなり」と言ふ。 「具し奉らせ給ひつらん人は、このおはします殿の御事か」と言へば、「さに侍り。『芋粥にいまだ飽かず』と仰せらるれば、『飽かせ奉らん』とて、率て奉りたる。言へばやすきものども、え飽かせ給はざりけるかな」とて、たはぶるれば、五位、「『東山に湯沸かしたり』とて、人を謀り出でて、かくのたまふなり」など言ひたはぶれて、夜少し更けぬれば、舅も入ぬ。 寝所とおぼしき所に、五位、入りて、寝んとするに、綿、四・五寸ばかりある直垂((底本「宿衣カ」と傍書))あり。わがもとの薄綿は、むつかしう((底本他諸本とも「むかしう」。文意により「つ」を補う。))、何のあるにか、痒き所も出で来る衣なれば、脱ぎ置きて、練色の衣三つが上に、この直垂ひき着て臥したる心、いまだならはぬに、気もあげつべし。 汗水にて臥したるに、また、傍らに人のはたらけば、「誰(た)そ」と問へば、「『御足給へ』と候へば、参りつるなり」と言ふ。気配にくからねば、かき臥せて、風のすく所に臥せたり。 かかるほどに、物高く言ふ声す。「何事ぞ」と聞けば、男(をのこ)の叫びて言ふやう、「この辺(へん)の下人、承はれ。明日の卯の時に、切り口三寸、長さ五尺の芋、おのおの一筋づつ持(も)て参れ」と言ふなりけり。「あさましう、おほのかにも言ふものかな」と聞きて、寝入りぬ。 暁方に聞けば、庭に筵(むしろ)敷く音のするを、「何わざするにかあらん」と聞くに、小屋当番よりはじめて、起き立ちて居たるほどに、蔀(しとみ)上げたるに、見れば、長筵(ながむしろ)をぞ四・五枚敷きたる。「なにの料にかあらん」と見るほどに、下種(げす)男の、木のやうなる物を肩にうちかけて来て、一筋置きて去(い)ぬ。その後、うち続き持て来つつ置くを見れば、まことに口二・三寸ばかりの芋の、五・六尺ばかりなるを、一筋づつ持て来て、置くとすれど、巳時まで置きければ、居たる屋と等しく置きなしつ。 夜べ叫びしは、はやう「その辺(へん)にある下人のかぎりに、物言ひ聞かす」とて、「人呼びの岡」とてある塚の上にて言ふなりけり。ただ、その声の及ぶ限りの、めぐりの下人の限りの持て来るにだに、さばかり多かり。まして、立ちのきたる従者どもの多さを思ひやるべし。 「あさまし」と見たるほどに、五石なはの釜を、五六舁(かき)持て来て、庭に杭ども打ちて、据ゑわたしたり。「何の料ぞ」と見るほどに、しほきぬの襖(あを)といふ物着て、帯して、若やか((「若やか」は底本「わかやう」。諸本により訂正))に汚なげなき女どもの、白く新しき桶に水を入れて、この釜どもにさくさくと入る。「何ぞ、湯沸かすか」と見れば、この水と見るは、味煎(みせん)なりけり。沸かす男(おのこ)どもの、袂より手出だしたる、うすらかなる刀の、長やかなる持たるが、十余人ばかり出で来て、この芋を剥きつつ、すき切りに切れば、「はやく、芋粥煮るなりけり」と見るに、食ふべき心地もせず、かへりてはうとましくなりにたり。 さらさらとかへらかして、「芋粥、出で詣で来にたり」と言ふ。「参らせよ」とて、まづ大きなる土器(かはらけ)具して、金(かね)の提(ひさげ)の一斗ばかり入りぬべきに、三・四に入れて、「且(かつ)」とて持て来たるに、飽きて、一盛りをだにえ食はず。「飽きにたり」と言へば、いみじう笑ひて、集まりて居て、「客人殿の御徳に、芋粥食ひつ」と言ひあへり。 かやうにするほどに、向ひの長屋の軒に、狐のさし覗きて居たるを、利仁、見付て、「かれ御覧ぜよ。候ひし狐の見参(げざん)するを」とて、「かれに物食はせよ」と言ひければ、食はするに、うち食ひてけり。 かくて、よろづのこと、楽しといへばおろかなり。一月ばかりありて上りけるに、褻(け)・納めの装束(さうぞく)ども、あまたくだり、また、ただの八丈・綿(わた)・絹(きぬ)など皮子どもに入れて取らせ、はじめの夜の直垂、はた、さらなり、馬に鞍置きながら取らせてこそ送りけれ。 きう者なれども、所につけて、年ごろになりてゆるされたる者は、さる者の、おのづからあるなりけり。 ===== 翻刻 ===== 今は昔利仁の将軍のわかかりける時其時の一の人の御本に恪勤し て候けるに正月に大饗せられけるにそのかみ大饗はててとりはみ水いふ 物をはよひていれすして大饗のおろし米とて給仕したる恪勤の ものともの食ける也その所に年比になりてきうしたる物の中には所え/19オy41 たる五位ありけりそのおろしこめの座にて芋粥すすりて舌うちを してあはれいかていも粥にあかんといひけれはとし仁これをききて大夫殿 いまたいもかゆにあかせ給はすやととふ五位いまたあき侍らすといへはあ かせたてまつりてんかしといへはかしこく侍らんとてやみぬさて四五日斗 ありてさうしすみにてありける所へ利仁きていふ様いささせ給へ湯 あみに大夫殿といへはいとかしこき事かなこよひ身のかゆく侍つるに 乗物こそは侍らねといへはここにあやしの馬くして侍りといへはあなう れしあなうれしといひてうすわたのきぬ二斗にあをにひのさしぬきのすそ やれたるにおなし色のかり衣のかたすこし落たるにしたの袴もきす 鼻たかなるもののさきはあかみて穴のあたりぬれはみたるはすすは なをのこはぬなめりとみゆ狩衣のうしろは帯にひきゆかめられたるまま に引もつくろはぬはいみしうみくるしおかしけれともさきにたてて我も 人も馬にのりて河原さまにうち出ぬ五位のともにはあやしの童たになし/19ウy42 利仁かともには調度かけとねりさうしきひとりそ有ける河原打過 て粟田口にかかるにいすくへそととへはたたここそここそとて山科も過ぬ こはいかにここそここそとて山科もすくしつるはといへはあしこあしことて関山も すきぬここそここそとて三井寺にしりたる僧のもとへゆきたれは爰に湯 わかすとおもふたにも物くるしう遠かりけりと思にここにも湯あ りけにもなしいつらゆはといへはまことはつるかへいてたてまつる なりといへは物くるおしうおはしける京にてさとの給はましかは下人 なともくすへかりけるをといへは利仁あさわらひてとし仁独侍らは 千人とおほせと云かくて物なと食て急出ぬそこにてそ利仁 やなくひとりてをひけるかくて行程にみつの浜に狐の一はしり出 たるをみてよきたより出きたりとて利仁狐ををしかくれは狐みを なけて逃れともをひせめられてえにけす落かかりて狐の尻足を 取て引あけつ乗たる馬はいとかしこしともみえさりつれ共いみしき逸物/20オy43 にてありけれはいくはくものはさすしてとらへたる所に此五位はしらせていき つきたれは狐を引あけて云様はわ狐こよひの内に利仁か家のつるかに まかりていはむやうは俄に客人をくしたてまつりてくたる也明日の 巳の時に高島辺にをのこともむかへに馬二鞍をきて二疋くしてま うてこといへもしいはぬ物ならはわ狐たた心みよ狐は変化ある物なれは けふのうちに行つきていへとてはなては荒涼の使哉といふよし御らん せよまからてはよにあらしといふにはやく狐み返しみ返しして前に走行よく まかるめりといふにあはせて走先立てうせぬかくて其夜は道に留りて つとめてとく出て行程に誠に巳時斗に卅騎斗こりてくる物あり なににかあらんとみるにをのこともまうてきたりといへは不定の事哉 と云程にたたちかにちかく成てはらはらとおるる程にこれみよ誠におはしたる はといへは利仁うちほをえみて何事そととふおとなしき郎等すすみて 希有の事の候つる也といふまつ馬はありやといへは二疋さふらふと云食物/20ウy44 なとして来けれはそのほとにおりゐてくふつゐてにおとなしき郎 等のいふやう夜部けうの事のさふらひし也戌時斗に大はん所のむねを きりにきりてやませ給しかは如何成事にかとて俄に僧めさんなとさは かせ給し程にてつから仰さふらふやうなにかさはかせ給をのれは狐也別の ことなし此□みつの浜にて殿の下らせ給つるに逢たてまつりたりつるに 逃つれとも先にけてとらへられたてまつりたりつるにけふのうちにわか家に いきつきて客人くしたてまつりてなんくたるあす巳時に馬二に鞍をきて くしてをのことも高島のつにまいりあへといへもしけふのうちにいきつ きていはすはからきめ見せんするそと仰られつるなりをのこともとく とく出立てまいれ遅まいらは我は勘当かうふりなんとをちさはかせ給つ れはをのこともにめしおほせさふらひつれは例さまにならせ給にき其後 鳥とともに参さふらひつる也といへは利仁うちえみて五位にみあはすれは五 位あさましと思たり物なとくひはてて急立てくらくらに行つきぬこれ/21オy45 みよまことなりけりとあさみあひたり五位は馬よりおりて家のさまを 見るににきわわしくめてたき事物にもにすもときたるきぬ二かうへに 利仁か宿衣をきせたれとも身の中しすきたるへけれはいみしうさむけに 思たるになかすひつに火をおほふおこしたりたたみあつらかにしきてく た物くひ物しまうけてたのしくおほゆるに道の程さむくおはしつらん とてねり色のきぬのわたあつらかなる三つひきかさねてもてきて うちおほひたるにたのしとはおろかなり物くひなとしてことしつまり たるにしうとの有仁いてきていふやうこはいかてかくはわたらせ給へるそ これにあはせて御使のさま物くるおしうてうへにはかにやませたてまつり 給ふけうの事也といへは利仁うち笑て物の心みんとおもひてしたり つる事を誠にまうてきてつけて侍にこそあんなれといへはしうとも 笑て希有の事也といふくしたてまつらせ給つらん人は此おはします 殿の御事かといへはさに侍り芋粥にいまたあかすと仰らるれはあかせたて/21ウy46 まつらんとていてたてまつりたるいへはやすき物ともえあかせ給はさり けるかなとてたはふるれは五位東山に湯わかしたりとて人をはかりいてて かくの給なりなといひたはふれて夜すこし更ぬれはしうとも入ぬ ね所とおほしき所に五位入てねんとするに綿四五寸斗ある ひたたれ(宿衣歟)あり我もとのうすわたはむかしうなにのあるにかかゆき所も いてくるきぬなれはぬきおきてねり色のきぬ三かうへにこのひたたれ ひききてふしたる心いまたならはぬに気もあけつへしあせ水にてふし たるに又かたはらに人のはたらけはたそととへは御あし給へと候へはまいり つる也と云けはひにくからねはかきふせて風のすく所にふせたり かかる程に物たかくいふこゑす何事そときけはをのこのさけひて云 やうこのへんの下人うけ給はれあすの卯時に切口三寸なかさ五尺の芋 各一筋つつもてまいれといふなりけりあさましうおほのかにもいふ物哉 とききてね入ぬ暁かたにきけは庭に筵しくおとのするをなにわさする/22オy47 にかあらんときくにこやたうはんよりはしめておき立てゐたるほ とに蔀あけたるに見れはなかむしろをそ四五枚敷たるなにのれう にかあらんとみる程にけす男の木のやうなる物をかたにうちかけてきて 一すちをきていぬ其後うちつつきもてきつつをくをみれは誠に口二三 寸斗のいもの五六尺はかりなるを一すちつつもてきてをくとすれと 巳時まてをきけれはゐたるやとひとしくをきなしつ夜部さけひ しははやうそのへんにある下人のかきりに物いひきかすとて人よひの 岡とてあるつかのうへにていふなりけりたたそのこゑのをおよふかきり のめくりの下人のかきりのもてくるにたにさはかりおほかりましてたち のきたるすさとものおほさをおもひやるへしあさましとみたる程に 五石なはのかまを五六舁もてきて庭にくゐともうちてすへわたし たり何のれうそとみる程にしほきぬのあをといふ物きて帯して わかやうにきたなけなき女どもの、しろくあたらしき桶に水を入て/22ウy48 此釜ともにさくさくといるなにそ湯わかすかとみれは此水とみるはみ せんなりけりわかすおのこともの袂より手出したるうすらかなる刀の なかやかなるもたるか十余人斗いてきて此いもをむきつつすききり にきれははやく芋粥にるなりけりとみるにくふへき心ちもせすかへりて はうとましく成にたりさらさらとかへらかしていもかゆいてまうてきに たりといふまいらせよとて先大なるかはらけくしてかねの提の一斗は かり入ぬへきに三四に入て且とてもてきたるにあきて一もりをたにえ くはすあきにたりといへはいみしうわらひてあつまりてゐて客人殿の 御とくにいもかゆくひつといひあへりかやうにする程に向のなか屋の軒 に狐のさしのそきてゐたるを利仁見つけてかれ御らんせよ候し狐 のけさんするをとてかれに物くはせよといひけれはくはするにうちく ひてけりかくてよろつの事たのしといへはおろか也一月はかりありて のほりけるにけおさめのさうそくともあまたくたり又たたの八丈/23オy49 わたきぬなと皮子ともに入てとらせはしめの夜の直垂はたさ らなり馬に鞍をきなからとらせてこそをくりけれきう者なれ とも所につけて年比になりてゆるされたるものはさるもののをの つからある也けり/23ウy50