大和物語 ====== 第165段 水尾の御門の御時左大弁のむすめ弁の御息所とていますかりける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 水尾の御門((清和天皇))の御時、左大弁のむすめ、弁の御息所とて、いますかりける。御門、御髪(みぐし)おろし給ひてのちに、一人いますかりけるを、在中将((在原業平))の忍びて通ひけり。 中将、病いと重くしてわづらひけるを、もとの妻(め)どももありければ、いと忍びてあることなれば、行きてもえとぶらひ給はず、忍び忍びになんとぶらひけること日々にありけり。 さるに、とはぬ日なんありける。病もいと重くて、その日になりにけり。中将のもとより、   つれづれといとど心のわびしきに今日をとはずて暮してんとや とておこせたりける。 「弱くなりにたる」とて、いといたく泣き騒ぎて、「返り事せむ」とするほどに、「死にけり」と聞きて、いといみじかりけり。 死なんとする今となりて詠みたりける。   つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを とよみてなんたえはてにける ===== 翻刻 ===== 水尾のみかとの御とき左大弁のむす め弁のみやす所とていますかりける みかと御くしをろし給てのちにひと りいますかりけるをさい中将のしのひ てかよひけり中将やまひいとおもくし てわつらひけるをもとのめとももあ りけれはいとしのひてあることなれは いきてもえとふらひたまはすしのひしのひに なんとふらひけること日々にありけ りさるにとはぬ日なんありけるや/d64l まひもいとおもく(りイ)てその日になりに けり中将のもとより つれつれといととこころのわひしきにけふ をとはすてくらしてんとや とておこせたりけるよはくなり にたるとていといたくなきさわき てかへりことせむとするほとにしに けりとききていといみしかりけり しなんとするいまとなりてよみた りける つひにゆくみちとはかねてきき/d65r しかときのふけふとは思はさりしを とよみてなんたえはてにける/d65l